ダリアの仕事はもっぱら美術品の保管と状態管理だ。希少価値の高い宝石、乾燥に弱い絵画、湿気でダメージを受けやすい書物は一日の展示を終えたあとで金庫や温湿度管理室に収納する。開館時間よりも前にそれらを展示室へ移動させるのだが、それだけでも一仕事だ。
(でも、私一人に任せてもらえるのは栄誉だわ)
この美術館の学芸員はダリア一人だけだ。前任の学芸員から業務を引き継ぐ期間は一ヶ月だけだった。引き継ぎが終わるとすぐに美術品の管理を任された。責任は重大だがやりがいもある。
美術品を展示室に運び終えるころにやってくるのは三人。警備員が二人と、それから販売員をしている同僚だ。
「ダリアちゃん、おっはよー」
「おはようございます、マコーリーさん」
「ヤだなぁ、名前で呼んでくれてかまわないのに」
「いえ、そんなわけには」とダリアは無表情で答えた。このやりとりは朝の挨拶のひとつになりつつある。
人好きのする笑みでニヘラッと顔をほころばせているのは接客要員のガレス・マコーリーだ。濃紺のジャケットとトラウザーズは揃い物で、地味だがシワひとつなく、凛々しく見える。それは彼の面立ちと立ち居振る舞いがよいからだろう。
「ねえ聞いてよ、昨日さ――」
黙っていれば男前のガレスの話に対して「そうなんですか」、「すごいですね」と適当にあいづちを打ちながら開館の準備を進める。初めのころはこの作業にも骨が折れた。しかし彼のおかげで、ひとの話を聞きながらほかのことを滞りなく進めるスキルを身につけることができた。無駄話ばかりでうるさいと思うときもあるけれど、まあおおむね感謝している。
(接客に関しては私の百倍は上手だし)
よくしゃべる男だが、客の話もよく聞くし、話の流れを操作するのが上手い。美術品を売りさばくのに長けている。その点は尊敬している。
展示品のひとつである古びた仕掛け時計が開館時刻を告げる。時計盤の中央が観音開きになり、背中に羽根が生えたクマのフィギュアが顔を出してバンザイをしたままクルクルと回転する。そのさまを初めて目にしたときは、あまりの愛らしさに業務そっちのけで見入ってしまった。
回るのを終え、時計のなかへ戻っていってしまうクマのフィギュアを名残り惜しく横目で見ながら美術館の正面玄関を開放する。
平日の客入りは一時間に数人といったところだ。ガレスと話をしにくるだけ、という常連客も多い。
その最たるは、濃いピンク色のドレスを身にまとって颯爽と館内へ入ってきた可憐な少女だ。
「おはようございます、ダリアさん」
「クラリス様、おはようございます」
「もう、ダリアさんたら……。どうかクラリスと呼び捨ててくださいといつも申し上げておりますのに」
ああ、やはり兄妹だなといつも思う。ダリアは口の端をわずかに上げて微笑した。
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(でも、私一人に任せてもらえるのは栄誉だわ)
この美術館の学芸員はダリア一人だけだ。前任の学芸員から業務を引き継ぐ期間は一ヶ月だけだった。引き継ぎが終わるとすぐに美術品の管理を任された。責任は重大だがやりがいもある。
美術品を展示室に運び終えるころにやってくるのは三人。警備員が二人と、それから販売員をしている同僚だ。
「ダリアちゃん、おっはよー」
「おはようございます、マコーリーさん」
「ヤだなぁ、名前で呼んでくれてかまわないのに」
「いえ、そんなわけには」とダリアは無表情で答えた。このやりとりは朝の挨拶のひとつになりつつある。
人好きのする笑みでニヘラッと顔をほころばせているのは接客要員のガレス・マコーリーだ。濃紺のジャケットとトラウザーズは揃い物で、地味だがシワひとつなく、凛々しく見える。それは彼の面立ちと立ち居振る舞いがよいからだろう。
「ねえ聞いてよ、昨日さ――」
黙っていれば男前のガレスの話に対して「そうなんですか」、「すごいですね」と適当にあいづちを打ちながら開館の準備を進める。初めのころはこの作業にも骨が折れた。しかし彼のおかげで、ひとの話を聞きながらほかのことを滞りなく進めるスキルを身につけることができた。無駄話ばかりでうるさいと思うときもあるけれど、まあおおむね感謝している。
(接客に関しては私の百倍は上手だし)
よくしゃべる男だが、客の話もよく聞くし、話の流れを操作するのが上手い。美術品を売りさばくのに長けている。その点は尊敬している。
展示品のひとつである古びた仕掛け時計が開館時刻を告げる。時計盤の中央が観音開きになり、背中に羽根が生えたクマのフィギュアが顔を出してバンザイをしたままクルクルと回転する。そのさまを初めて目にしたときは、あまりの愛らしさに業務そっちのけで見入ってしまった。
回るのを終え、時計のなかへ戻っていってしまうクマのフィギュアを名残り惜しく横目で見ながら美術館の正面玄関を開放する。
平日の客入りは一時間に数人といったところだ。ガレスと話をしにくるだけ、という常連客も多い。
その最たるは、濃いピンク色のドレスを身にまとって颯爽と館内へ入ってきた可憐な少女だ。
「おはようございます、ダリアさん」
「クラリス様、おはようございます」
「もう、ダリアさんたら……。どうかクラリスと呼び捨ててくださいといつも申し上げておりますのに」
ああ、やはり兄妹だなといつも思う。ダリアは口の端をわずかに上げて微笑した。