秘されし、その甘やかな救済 《 第一章 03


「さあ、俺の部屋はこっちだ」
「やっ、お待ちください。公爵さまはとてもお元気そうに見受けられます。私の介助なんて必要ないですよね」
「元気そうに振舞っているだけで本当はいまにも倒れそうなんだ。さあ、早くこちらへ」

 肩を抱かれそうになり、ラティーシャはザザッと後ずさった。

「……そんなに、俺に触れられるのか嫌か?」
「公爵さまに、というか……男性に触れられるのが、少し」

 本当は『少し』どころではない。異性に触れられるのはとてつもなく嫌だ。

「……そうか。では、これならどうだ?」

 マティアスがラティーシャの袖をつまむ。それは幼な子が母親の袖をつかむような仕草だった。

「えっ……そ、そんな」

 大人が――まして身分のある男性がすることではない。袖をつままれて戸惑うラティーシャをマティアスは自室へ誘う。
 袖の、つままれている部分はわずかだけれども、力強くクイクイと引っ張られては付き従って歩くしかない。

(ああ、どうしてこんなことに……)

 しかしこうなってしまったものは仕方がない。公爵を寝かしつけて早々に立ち去ろう。
 長い長い廊下をひたすら歩く。人の気配はない。いまは本当に使用人がいないようだ。

(……思っていたよりも調度品が少ない)

 絵画や彫刻のたぐいはさほど多くない。夜には使用人を帰してしまうあたり、シュバルツ公爵は倹約家なのかもしれない。

(神殿へたくさん寄付をくださるから……もっとこう、無駄遣いが好きなのかと思ってた)

 寄付金をたんまりともらっておいて失礼な話だが、大多数の貴族はそうだ。売名行為と言ってはさすがに天罰が下るが、実質的にはそういう一面も確かにある。

「――ここだ。入ってくれ」

 袖を引っ張られて到着した公爵の私室はとても簡素だった。無駄なものがない――というか、必要なものしかない。ベッドにソファ、ティーテブル。家具はそれだけだ。
 マティアスがベッド端に腰掛ける。

「背をさすってもらえないだろうか」

 公爵が視線でうかがってくる。
 男性に触れられるのは嫌だ。だからといって自ら触れることが平気かと聞かれれば、答えは断固として否だ。
 公爵は「うーん」とうなりながら頭をかかえる。何だかわざとらしい。
 ラティーシャはしばしためらったあと、ゆっくりと歩を進めてマティアスのそばに立った。
 おそるおそる片手を伸ばし、彼の背を撫でる。触れるか触れないか、微妙なところだった。

「……それでは、くすぐったいな。もっとこう……しっかりさすってくれ。さあ、俺の隣に腰掛けて」
「なっ……!」

 またしても袖を引っ張られて、なかば強引にベッドに座らされる。

「さあ、続けて」
「………」

 ラティーシャは少しだけ唇を尖らせて、そっと公爵の背に触れる。

(だめ……やっぱり怖い)

 ラティーシャの手は震えていた。

「……きみは兄弟はいるか?」

 唐突に話しかけられた。公爵は前を向いたままだ。ラティーシャは手を止めて答える。

「はい、兄が四人おります」
「へえ、四人も。歳はどれくらい離れている?」
「一番上の兄は27歳ですから……わたしよりも九つ年上です」
「奇遇だな、俺も27だ。それなら話が早い。俺を兄だと思って触れてくれればいい」
「兄……ですか」
「そう。家族だと思って、気軽に」

 ――さっき会ったばかりなのに?
 公爵は兄とは似つかわしくないので、とても家族だとは思えない。

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