秘されし、その甘やかな救済 《 第一章 09

 ドレスが要らぬのならせめて食事だけでもと言われ、ふだんは絶対に立ち入らないような五つ星のレストランで食事をご馳走になり、ラティーシャは帰路に着いた。マティアスは宿舎の前まで送ってくれた。

「今日は本当にありがとうございました。……公爵さまのおっしゃる通り、たまには休息も必要なのだとわかりました」

 一日を振り返ってみて思う。働きづめで張り詰めた精神状態は心に余裕を生まない。巫女見習いの業務だって最初は楽しくやっていた。しかし最近は機械的に、義務的にこなしていたように思う。それでは自分自身が楽しくないし、まわりだって息がつまるに違いない――。
 マティアスの顔を夕焼けが煌びやかに照らし、艶やかな髪の毛をそよ風がサラサラと揺らす。

「それはよかった。……でも、初めにそれを教えてくれたのはきみなんだけどね」
「えっ?」
「いや……気にしなくていい。それより――」

 碧い瞳がためらいを見せてわずかに細くなる。

「少しだけ、触れてもいいか?」

 ラティーシャはスッと短く息を吸った。昨日までの自分ならばすぐに「いやです」と答えただろう。心に余裕があるいまは「否」とは即答しない。

「は……い」

 ――いま、私は何と答えた?
 自分自身の口から出た言葉に驚きつつ、事実、彼に触れられてもかまわないと思った。
 しかしよく考えてみれば、あまりにも浅はかな返答だ。いったいどこに触れられるのか、確かめもせずに返事をするなんて。
 承諾したものの戸惑いを見せるラティーシャの頭をマティアスはそっと撫でた。

(ああ、なんだ……頭なら、平気だわ)

 肌に触れられているわけではないし、彼の手つきは極めて優しい。恐怖心はない。
 ところが、彼の手はしだいに下降してきた。ツツ、と頬を撫でられる。マティアスの指先は温かい。

「……平気か?」

 こくっ、とうなずく。なぜか声が出せない。自分自身の脈の音がうるさい。
 ラティーシャが怯えていないと見ると、マティアスはホッとしたようすで嘆息した。
 それから、ゆっくりとラティーシャの透けるように白い肌を撫でたどる。

「俺はきみと違って強欲だ。見ているだけでは足りない――」

 頬を撫でていた温かな指先がさらに下へ向かう。みずみずしい唇をぐるりとたどる。

「自分のものにしたくなる」
「……!」

 彼がなにを言わんとしているのか、何となくわかってしまって戸惑う。
 なにか言葉を返さねばと思うが、彼の指先は相変わらず唇を這いまわっているから話ができない。

「……すまない。俺はきみを困らせてばかりだな」

 マティアスはサッと手を引っ込めて、

「それではまた」

 と言って去っていく。
 ラティーシャは彼が見えなくなるまでその場でマティアスを見送った。
 頭、頬、唇――と、彼が触れた順に自分でもさわってみる。

(……どきどき、しない)

 心は凪いだように穏やかで、空虚さすら漂わせていた。

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