秘されし、その甘やかな救済 《 第三章 09

 マティアスは瞬時に顔色を変えてルーサーに言う。

「すぐに馬車を出してくれ。行き先は神殿だ」

 ルーサーは工場長から手早くワインを受け取り、御者にすぐに発つよう指示を出す。
 工場長はというと、満面の笑みで手を振っていた。

「……神は何とおっしゃったのですか?」

 向かいの入口側に座るルーサーが、押し黙るマティアスに尋ねる。マティアスは眉間にしわを刻んだまま話す。

「ラティーシャが危ない、と――。それから、空から落ちてくるものを何とかすると言っていた」
「それは……緊急事態ですね。ラティーシャ様は具体的にどのような状況なのでしょう?」
「彼女が祈りの間の近くにいるということ以外はわからない。……いまはもう、彼の声が聞こえない」
「そうですか……」

 ルーサーはマティアスと同じように思案顔になる。

「このあとの予定は調整しておきますので、マティアス様はどうかラティーシャ様のもとへお急ぎください」
「ああ……すまない」

 マティアスは車窓から空を見上げる。

(空から落ちてくるもの、とは何のことだ?)

 彼はそれを「何とかする」と言っていた。何とかしなければならないものとは、いったいなんのことだろう。
 空は青く澄み渡っている。落雷や、あるいは雹《ひょう》が降ってくるというわけでもなさそうだ。
 しかしその次の瞬間、マティアスは初めて目にする光景に息をのんだ。

「なんだ、あれは――?」

 光をまとったなにかが空を駆けて迫りくる。その異様な光景にマティアスは目を見張り、同時に体をこわばらせた。
 その『なにか』は、吸い寄せられるように神殿へと落ちていった。


「い、やっ……! 放して!!」

 ラティーシャは声の限りに叫んだ。しかしここは神殿の奥。祈りの間を出てすぐのところだ。だから、この叫び声はよほど運がよくなければ他人《ひと》の耳には届かないだろう。

「照れなくてもいいんだよ、ラティーシャ」

 レイヴンは卑劣さのにじみ出た笑みを浮かべてラティーシャの体を羽交い絞めにしていた。じたばたと暴れる彼女を強引に押さえ込む。

「照れてなんかいません! 放して下さい!」

 何度もそう言った。否定の言葉を言い連ねた。しかしレイヴンは聞く耳を持たない。
 ラティーシャは祈りの間の前でレイヴンに待ち伏せされていた。今日の神殿は閑散としている。だから彼は難なくここまで来ることができたのだろう。もしかしたらあとをつけられていたのかもしれない。

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