秘されし、その甘やかな救済 《 第三章 12

 この世から神が消えて数週間が経った。
 ラティーシャは相変わらず神殿であわただしく奉仕をする毎日だった。しかしどうしても、以前よりもやる気が出ない。神の確固たる存在を知る前と、消えてしまったことを知った今では心持ちが違う。神はいなくなってしまったとわかっているのに、巡礼者に対して「神のご加護を」と言うのが苦痛だった。

「――ラティーシャ」

 不意に呼びかけられ、ラティーシャは思わず持っていたフォークを皿の上に落とした。

「あっ……。申し訳ございません」

 落としてしまったフォークをそそくさと拾い上げ、ラティーシャは真向かいに座るマティアスを見やる。彼はあからさまに浮かない顔をしていた。

「先ほどから食が進んでいないようだが」
「す、すみません……少し考え事をしていて」

 マティアスの眉尻がますます下がる。

「きみの考え事は、神のことか?」

 ラティーシャは小さくうなずいて、そのままうつむいた。そんな彼女をマティアスはじいっと見つめる。

「……今日は、きみと一緒に俺も神殿へ行く」


 マティアスとともに神殿へ出仕したラティーシャはなにも聞かされないまま神殿の奥へとマティアスとともに歩いた。

(祈りの間へ向かっているのかしら……。でも、どうして)

 もはやそこはだれも立ち入らない場所だ。神が存在しないとわかって、巫女たちは祈りの間を訪れなくなった。

(ううん。でも……祈りを続けていればアドニスさまは戻って来てくださるかもしれない)

 あきらめてしまうのは時期尚早なのかもしれない。

「あの、マティアスさま。わたし、まだあきらめないことにします」
「ん? ああ、そうだな。俺も、まだあきらめてはいない」

 そう言いながらマティアスはいつかのように祈りの間の扉を押し開けた。

「――!」

 ラティーシャは息をのむ。
 跡形もなくなっていたはずの祈りの間が、以前の姿を取り戻していた。それどころか、以前にも増して神々しく輝いている。
 中央の黒い石は囲む支柱には精緻な薔薇模様がほどこされ、無骨だった石はいまや立派なモニュメントだ。天井に開いていた穴にはガラス窓がはめ込まれている。石を囲んで地植えされた萌黄色の蔓薔薇は、天窓から降り注ぐ陽光を受けて美しく花を咲かせている。

「祈りの間を再建すれば、彼が戻って来てくれるかと思ったんだが……。そう上手くはいかないか。ほかにも手段を考えてみよう」

 ラティーシャはしばらくなにも言葉を発さず、すっかり輝きを取り戻した祈りの間をひたすら見つめていた。

「――おい、なぜ泣くんだ」
「え……」

 マティアスに言われて初めてラティーシャは自身の目から涙がこぼれていたことに気がついた。あわてて目もとを指でぬぐう。

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