「ご機嫌うるわしゅう、お兄様」
木製の白い扉をひらき、壮年の兄を迎える。
透きとおるような蒼い髪の毛をうしろでひとまとめにして優雅にほほえんでいるのはリルの実兄、ロラン・マイアー、トランバーズ伯爵だ。
「やあ、リル。元気にしていたかい?」
ロランが淡褐色の瞳を細めた。公爵家の長男であるロランは王城での執務と、トランバーズ伯爵領の管理業務の合間をぬってひと月に二、三度ほどリルの屋敷へやってくる。表向きは、森の奥にひとりで住む彼女を気遣って訪問しているようだが、じつのところそれが彼の主目的ではない。
「毛生え薬、ちゃんと調合しておいたわよ」
「おいおい、その言いかたはやめてくれといつも言っているのに」
ロランはうかがうようにあたりを見まわし、屋敷のなかへ入った。毛生え薬という言葉を誰かに聞かれていないか確認したのだろう。山の奥深くなのだから無用な心配だ。
「育毛薬といったところで、同じじゃない」
「いや、ぜんぜん違う。毛生え薬といったら、僕の頭がはげているみたいだ」
「まあ、将来はわからないわよね」
リルとロランの父親は見事にはげている。祖父に至ってもつるっぱげだった。ロランはいま46歳。十年先を気にしていまから育毛薬を愛用しているのだ。
事実、リルが調合する育毛薬を処方しはじめてから抜け毛が減ったらしい。
「将来はげないために、いまきみの薬を使って髪の毛をケアしているんだ。リル、このことはくれぐれも」
「わかっているわ。他言無用、でしょう。心配しなくても、私にはそのことを面白おかしくうわさして楽しむような相手はいないわ」
部屋の壁と同じピンク色のソファに座った兄の眼前にリルは「はい、どうぞ」と言いながらハーブティーを差し出した。あらかじめ焼いておいたスコーンも、皿に盛り付けてティーカップのとなりに並べる。
「ああ、ありがとう。でもリル、街へ薬を売りに行くときは誰かしらと話をするだろう?」
「あら? 言ってなかったかしら。薬売りはすべて商人に委託することにしたの。ちょうど今日あたり、そのひとが薬を取りにくるんじゃないかしら。だから、私は街へは出なくてもよくなったのよ」
「ええっ、初耳だよ。そうか、じゃあきみはますますこの森に引きこもっているというわけか」
ロランはどこか哀しげに息を吐き、ティーカップを手に取った。
「……べつにいいじゃない。引きこもりのなにがいけないの」
この見た目だ。べつの誰かに委託して販売するほうが売れると思ってそうした。
「責めているわけではないよ。ただ……、本当にそれでいいのかい? リルは以前、言っていたじゃないか。薬を調合して、それを服用したひとが笑顔になってくれるのが嬉しいのだと」
兄の向かいに腰をおろし、リルもティーカップをつかむ。香り高いハーブティーをひとくちだけすする。
「それはべつに、間接的に売ったところで変わりはしないわ。むしろ、より多くのひとに私の薬を届けることができるんだし」
たしかに、みずから薬を売り歩いているときは買い手の嬉しそうな笑顔を楽しみにしていた。しかしそれ以上に、この黒い髪の毛と紅い瞳を白い目で見られるのが嫌なのだ。この国の人々はみな金や銀、もしくは兄のように蒼い髪――明るい色の髪の毛だ。瞳も、リルのように真っ赤なひとには出会ったことがない。
「……そうか。まあ、きみがそれでいいのなら僕はこれ以上なにも言わないよ」
ロランはミックスベリージャムをスコーンにたっぷりと塗りつけて、上品にかじった。
「ああ、このジャムは新作だね?」
「ええ、そうよ。お口に合うかしら」
リルは森で採れたラズベリーやストロベリーをミックスしてジャムを作っている。いま兄に振舞っているのは、ベリーの配合比率を変えたばかりの新作だ。
木製の白い扉をひらき、壮年の兄を迎える。
透きとおるような蒼い髪の毛をうしろでひとまとめにして優雅にほほえんでいるのはリルの実兄、ロラン・マイアー、トランバーズ伯爵だ。
「やあ、リル。元気にしていたかい?」
ロランが淡褐色の瞳を細めた。公爵家の長男であるロランは王城での執務と、トランバーズ伯爵領の管理業務の合間をぬってひと月に二、三度ほどリルの屋敷へやってくる。表向きは、森の奥にひとりで住む彼女を気遣って訪問しているようだが、じつのところそれが彼の主目的ではない。
「毛生え薬、ちゃんと調合しておいたわよ」
「おいおい、その言いかたはやめてくれといつも言っているのに」
ロランはうかがうようにあたりを見まわし、屋敷のなかへ入った。毛生え薬という言葉を誰かに聞かれていないか確認したのだろう。山の奥深くなのだから無用な心配だ。
「育毛薬といったところで、同じじゃない」
「いや、ぜんぜん違う。毛生え薬といったら、僕の頭がはげているみたいだ」
「まあ、将来はわからないわよね」
リルとロランの父親は見事にはげている。祖父に至ってもつるっぱげだった。ロランはいま46歳。十年先を気にしていまから育毛薬を愛用しているのだ。
事実、リルが調合する育毛薬を処方しはじめてから抜け毛が減ったらしい。
「将来はげないために、いまきみの薬を使って髪の毛をケアしているんだ。リル、このことはくれぐれも」
「わかっているわ。他言無用、でしょう。心配しなくても、私にはそのことを面白おかしくうわさして楽しむような相手はいないわ」
部屋の壁と同じピンク色のソファに座った兄の眼前にリルは「はい、どうぞ」と言いながらハーブティーを差し出した。あらかじめ焼いておいたスコーンも、皿に盛り付けてティーカップのとなりに並べる。
「ああ、ありがとう。でもリル、街へ薬を売りに行くときは誰かしらと話をするだろう?」
「あら? 言ってなかったかしら。薬売りはすべて商人に委託することにしたの。ちょうど今日あたり、そのひとが薬を取りにくるんじゃないかしら。だから、私は街へは出なくてもよくなったのよ」
「ええっ、初耳だよ。そうか、じゃあきみはますますこの森に引きこもっているというわけか」
ロランはどこか哀しげに息を吐き、ティーカップを手に取った。
「……べつにいいじゃない。引きこもりのなにがいけないの」
この見た目だ。べつの誰かに委託して販売するほうが売れると思ってそうした。
「責めているわけではないよ。ただ……、本当にそれでいいのかい? リルは以前、言っていたじゃないか。薬を調合して、それを服用したひとが笑顔になってくれるのが嬉しいのだと」
兄の向かいに腰をおろし、リルもティーカップをつかむ。香り高いハーブティーをひとくちだけすする。
「それはべつに、間接的に売ったところで変わりはしないわ。むしろ、より多くのひとに私の薬を届けることができるんだし」
たしかに、みずから薬を売り歩いているときは買い手の嬉しそうな笑顔を楽しみにしていた。しかしそれ以上に、この黒い髪の毛と紅い瞳を白い目で見られるのが嫌なのだ。この国の人々はみな金や銀、もしくは兄のように蒼い髪――明るい色の髪の毛だ。瞳も、リルのように真っ赤なひとには出会ったことがない。
「……そうか。まあ、きみがそれでいいのなら僕はこれ以上なにも言わないよ」
ロランはミックスベリージャムをスコーンにたっぷりと塗りつけて、上品にかじった。
「ああ、このジャムは新作だね?」
「ええ、そうよ。お口に合うかしら」
リルは森で採れたラズベリーやストロベリーをミックスしてジャムを作っている。いま兄に振舞っているのは、ベリーの配合比率を変えたばかりの新作だ。