「――マレット男爵、なにからなにまで本当にありがとうございました。それで……あの、やっぱり私は兄のところへ行きます。寝床までお借りするのは、さすがに申し訳ないですから」
ゲストルームでそのまま休むようマレットに言われたリルだが、多忙な彼に髪まで染めてもらった。
もともと髪を染めてもらいにきたわけだが、染料だけをもらって自分でやるつもりでいたから、さすがにこれ以上、世話になるわけにはいかないと思った。
「……俺のこと、警戒してるんですか?」
「え? いえ、そういうことではなくて……。このお屋敷にはたくさんのお得意様がお訪ねになるのでしょう? 私がひとりでゲストルームを使うのは忍びないというか」
「あなただってお得意様ですよ。でもまあ、そうおっしゃるなら……。俺の寝室で、一緒に眠りますか?」
青に染まったばかりのリルの髪の毛がなびく。マレットに手首をつかまれたリルはそのまま強引にゲストルームを連れ出された。
(え、え……っ!? ちょっと待って、どうしてそうなるの)
もしかしたら彼の寝室にはベッドがふたつあるのかもしれない。ゲストルームを使うよりは気兼ねしないだろうと、そういうことなのかと無理やり納得する。
しかし彼の寝室に着くなりその考えはすぐさま否定された。寝室のベッドは豪奢でとても大きいが、ひとつだけだ。
「……では、俺は湯浴みしてきます。先に寝ていてください。おやすみ、レディ・マイアー」
「あっ、あの、ちょっと待っ……!」
パタン、と寝室の扉が静かに閉まる。リルは行き場のない手をゆっくりと振りおろした。
(寝ていて、って……言われても)
あらためてベッドを見つめる。先日、兄のロランに言われたことがどうしてかいま頭のなかにぽんっと浮かび上がった。
『なにか性的なことをされていないか――』
足先からだんだんと熱が込み上げてきて、耳まで真っ赤に染まる。
(いや、まさか……。そんな、マレット男爵に限って)
彼とは森の家でいつもふたりきりだ。おいしそうに茶を飲み、薬を抱えてなにごともなく帰っていく。寝室をともにしたところでなにかあるとは思えない。
(で、でも……。同じベッドで、なんて……。非常識だわ)
先にベッドに入る気にはなれず部屋のなかを見まわす。
茶色い板張りの床に土壁というのは屋敷の外観や廊下、先ほどのゲストルームと同様だ。外国に連れてこられたような気分になってしまう。
どうにも落ち着かない。部屋のなかをうろうろとしていると、湯上りのマレットが戻ってきた。
「起きていらっしゃったんですか」
「あ、え、ええ……」
マレットはもの珍しいナイトガウンを着ている。袖が広く、裾はくるぶしのあたりまである。腰に巻かれている紐も、ふつうのものよりも太い。
「ああ……。これは浴衣というものですよ」
リルはマレットの紺色の衣服から彼の顔へと視線を移した。ぱちりと目が合う。マレットのオレンジ色の髪の毛はまだ少し濡れていた。肩につくかつかないくらいの長さの髪先から雫がにじんでいる。
「髪の毛、まだ濡れていらっしゃいますよ」
「……そうですね。拭いてくださいますか」
「なっ!?」
なぜ彼の髪の毛を拭かなければならないのだ。そうは思えど、リルは先ほどマレットに髪を染めることまでしてもらった。ゆえに断れない。
「あ、わ、わかりました。ええと、なにか拭くものは……」
「これを、どうぞ」
クローゼットとおぼしき場所からタオルを取り出したマレットは大きなベッドの端に腰かけた。無言でタオルを差し出してくる。
(いまからでもお兄様のところへ行くほうがいいかしら……)
なんだか雲行きが怪しい気がしてきた。このまま本当に「なにか」されてしまったらどうしよう――。
「……どうかなさいましたか?」
「いっ、いえ」
不安に思いながらも、リルは手ざわりのよいタオルを受け取りマレットのとなりに腰をおろした。
ゲストルームでそのまま休むようマレットに言われたリルだが、多忙な彼に髪まで染めてもらった。
もともと髪を染めてもらいにきたわけだが、染料だけをもらって自分でやるつもりでいたから、さすがにこれ以上、世話になるわけにはいかないと思った。
「……俺のこと、警戒してるんですか?」
「え? いえ、そういうことではなくて……。このお屋敷にはたくさんのお得意様がお訪ねになるのでしょう? 私がひとりでゲストルームを使うのは忍びないというか」
「あなただってお得意様ですよ。でもまあ、そうおっしゃるなら……。俺の寝室で、一緒に眠りますか?」
青に染まったばかりのリルの髪の毛がなびく。マレットに手首をつかまれたリルはそのまま強引にゲストルームを連れ出された。
(え、え……っ!? ちょっと待って、どうしてそうなるの)
もしかしたら彼の寝室にはベッドがふたつあるのかもしれない。ゲストルームを使うよりは気兼ねしないだろうと、そういうことなのかと無理やり納得する。
しかし彼の寝室に着くなりその考えはすぐさま否定された。寝室のベッドは豪奢でとても大きいが、ひとつだけだ。
「……では、俺は湯浴みしてきます。先に寝ていてください。おやすみ、レディ・マイアー」
「あっ、あの、ちょっと待っ……!」
パタン、と寝室の扉が静かに閉まる。リルは行き場のない手をゆっくりと振りおろした。
(寝ていて、って……言われても)
あらためてベッドを見つめる。先日、兄のロランに言われたことがどうしてかいま頭のなかにぽんっと浮かび上がった。
『なにか性的なことをされていないか――』
足先からだんだんと熱が込み上げてきて、耳まで真っ赤に染まる。
(いや、まさか……。そんな、マレット男爵に限って)
彼とは森の家でいつもふたりきりだ。おいしそうに茶を飲み、薬を抱えてなにごともなく帰っていく。寝室をともにしたところでなにかあるとは思えない。
(で、でも……。同じベッドで、なんて……。非常識だわ)
先にベッドに入る気にはなれず部屋のなかを見まわす。
茶色い板張りの床に土壁というのは屋敷の外観や廊下、先ほどのゲストルームと同様だ。外国に連れてこられたような気分になってしまう。
どうにも落ち着かない。部屋のなかをうろうろとしていると、湯上りのマレットが戻ってきた。
「起きていらっしゃったんですか」
「あ、え、ええ……」
マレットはもの珍しいナイトガウンを着ている。袖が広く、裾はくるぶしのあたりまである。腰に巻かれている紐も、ふつうのものよりも太い。
「ああ……。これは浴衣というものですよ」
リルはマレットの紺色の衣服から彼の顔へと視線を移した。ぱちりと目が合う。マレットのオレンジ色の髪の毛はまだ少し濡れていた。肩につくかつかないくらいの長さの髪先から雫がにじんでいる。
「髪の毛、まだ濡れていらっしゃいますよ」
「……そうですね。拭いてくださいますか」
「なっ!?」
なぜ彼の髪の毛を拭かなければならないのだ。そうは思えど、リルは先ほどマレットに髪を染めることまでしてもらった。ゆえに断れない。
「あ、わ、わかりました。ええと、なにか拭くものは……」
「これを、どうぞ」
クローゼットとおぼしき場所からタオルを取り出したマレットは大きなベッドの端に腰かけた。無言でタオルを差し出してくる。
(いまからでもお兄様のところへ行くほうがいいかしら……)
なんだか雲行きが怪しい気がしてきた。このまま本当に「なにか」されてしまったらどうしよう――。
「……どうかなさいましたか?」
「いっ、いえ」
不安に思いながらも、リルは手ざわりのよいタオルを受け取りマレットのとなりに腰をおろした。