ふかふかのタオルを手にしたリルは腕を思い切り伸ばして彼の髪の毛を拭いた。そうしなければ、届かなかった。
「……レディ・マイアー」
「は、はい?」
「なんというか……。拭くのが下手ですね」
「……っ!」
リルは眉根を寄せてぱくぱくと不満げに口を動かした。
「こ、これでも頑張ってるんです。あなたは背が高いから、こうして腕を伸ばさなければ届かないし」
「もっと俺の近くに寄ればいいんじゃないですか」
「ひゃっ!?」
ぐいっ、と腕を引かれた。ひとひとりぶんは空いていたふたりの距離が大きく縮まる。リルは彼に抱きつくような体勢になってしまった。
「……っ、あの、マレット男爵。なにをお考えなんですか?」
「なにを、と申されますと?」
「だ、だから……その」
「なにも考えていませんよ。ただ、あなたに髪の毛を拭いてもらいたいだけ」
マレットはそう言いながら立ち上がり、しかしすぐにまた腰をおろした。ベッドではなく、板張りの床うえに。
リルは唖然と彼を見おろす。
「マレット男爵? なぜそんなこところに」
「これなら、拭きやすいでしょう? どうぞ。お願いします」
リルは「ええ、まあ」と返事をして、ふたたび彼の頭をタオルで拭き始めた。
(……つかめないひとだわ)
どれくらいそうしてマレットの髪の毛を拭いていたのかわからない。「もうよろしいですか」と聞いても「まだ乾ききっていない」と言われてしまい、ずるずると彼の頭に触れていた。
「――ありがとうございました、レディ・マイアー。きちんと乾いたようです」
「ええ……」
他人の髪の毛をこれほど長い時間、拭いていたのは初めてだ。マレットは濡れたタオルを手に部屋を出て行く。
(考えすぎかしら……。そうよね、こんな適齢期の過ぎた女、マレット男爵だって願い下げよね)
うんうんとひとりでうなずき、リルはベッドにもぐり込んだ。
間もなくして彼が寝室に入ってきた。見たわけではないが、扉がひらく音がした。
「レディ・マイアー?」
「……はい、なんでしょう」
マレットには背を向けたまま答えた。
「いえ、なんでもありません。おやすみなさい」
ごそごそと布がこすれる音がする。マレットはリルの反対側から布団のなかに入ったようだ。
「……おやすみなさい」
リルがぽつりとそう言ってから数分後。
(う、うそ……。もう眠ったの?)
となりからすうすうと寝息が聞こえてきた。
(はあ、ばかばかしい……。マレット男爵にはきっと下心なんて微塵もないんだわ。まったく、お兄様がへんなことを言っていたからつい勘繰ってしまった。さて、私も早く眠らなくちゃ、美容に悪い)
見慣れない青い髪の毛を指に絡ませてもてあそんだあと、安心しきったリルはまぶたを閉じ、すぐに眠りについた。
☆★☆
フランシス・マレットはとなりから聞こえてくる穏やかな寝息を確認してのそりと身を起こした。すやすやと眠る女の顔をのぞき込む。
「無防備なひとだな……」
小さなつぶやき声は彼女の耳には届かないだろう。おそらく熟睡している。フランシスは枕に片ひじをつき、リルの寝顔を眺めた。
長いまつ毛は濃い黒。まぶたを閉じているいまでも、それが目もとの印象を際立たせる。
(ひとめ惚れだと言って迫ったら、困らせるだろうか)
彼女には異性として意識されていないと思う。あのような森の家によく知りもしない男を軽々と上げるのだ。たんに警戒心が薄いだけかもしれないが、もしも自分のように奥手ではない男とふたりきりならリルは確実に貞操を奪われるだろう。
(それとも、本当は男を手玉にとってもてあそんでいるんだろうか。なにしろ『森の魔女』だからな)
青くなってしまった髪の毛を指に絡めて梳く。染めていても指どおりはなめらかだ。
「……レディ・マイアー」
「は、はい?」
「なんというか……。拭くのが下手ですね」
「……っ!」
リルは眉根を寄せてぱくぱくと不満げに口を動かした。
「こ、これでも頑張ってるんです。あなたは背が高いから、こうして腕を伸ばさなければ届かないし」
「もっと俺の近くに寄ればいいんじゃないですか」
「ひゃっ!?」
ぐいっ、と腕を引かれた。ひとひとりぶんは空いていたふたりの距離が大きく縮まる。リルは彼に抱きつくような体勢になってしまった。
「……っ、あの、マレット男爵。なにをお考えなんですか?」
「なにを、と申されますと?」
「だ、だから……その」
「なにも考えていませんよ。ただ、あなたに髪の毛を拭いてもらいたいだけ」
マレットはそう言いながら立ち上がり、しかしすぐにまた腰をおろした。ベッドではなく、板張りの床うえに。
リルは唖然と彼を見おろす。
「マレット男爵? なぜそんなこところに」
「これなら、拭きやすいでしょう? どうぞ。お願いします」
リルは「ええ、まあ」と返事をして、ふたたび彼の頭をタオルで拭き始めた。
(……つかめないひとだわ)
どれくらいそうしてマレットの髪の毛を拭いていたのかわからない。「もうよろしいですか」と聞いても「まだ乾ききっていない」と言われてしまい、ずるずると彼の頭に触れていた。
「――ありがとうございました、レディ・マイアー。きちんと乾いたようです」
「ええ……」
他人の髪の毛をこれほど長い時間、拭いていたのは初めてだ。マレットは濡れたタオルを手に部屋を出て行く。
(考えすぎかしら……。そうよね、こんな適齢期の過ぎた女、マレット男爵だって願い下げよね)
うんうんとひとりでうなずき、リルはベッドにもぐり込んだ。
間もなくして彼が寝室に入ってきた。見たわけではないが、扉がひらく音がした。
「レディ・マイアー?」
「……はい、なんでしょう」
マレットには背を向けたまま答えた。
「いえ、なんでもありません。おやすみなさい」
ごそごそと布がこすれる音がする。マレットはリルの反対側から布団のなかに入ったようだ。
「……おやすみなさい」
リルがぽつりとそう言ってから数分後。
(う、うそ……。もう眠ったの?)
となりからすうすうと寝息が聞こえてきた。
(はあ、ばかばかしい……。マレット男爵にはきっと下心なんて微塵もないんだわ。まったく、お兄様がへんなことを言っていたからつい勘繰ってしまった。さて、私も早く眠らなくちゃ、美容に悪い)
見慣れない青い髪の毛を指に絡ませてもてあそんだあと、安心しきったリルはまぶたを閉じ、すぐに眠りについた。
☆★☆
フランシス・マレットはとなりから聞こえてくる穏やかな寝息を確認してのそりと身を起こした。すやすやと眠る女の顔をのぞき込む。
「無防備なひとだな……」
小さなつぶやき声は彼女の耳には届かないだろう。おそらく熟睡している。フランシスは枕に片ひじをつき、リルの寝顔を眺めた。
長いまつ毛は濃い黒。まぶたを閉じているいまでも、それが目もとの印象を際立たせる。
(ひとめ惚れだと言って迫ったら、困らせるだろうか)
彼女には異性として意識されていないと思う。あのような森の家によく知りもしない男を軽々と上げるのだ。たんに警戒心が薄いだけかもしれないが、もしも自分のように奥手ではない男とふたりきりならリルは確実に貞操を奪われるだろう。
(それとも、本当は男を手玉にとってもてあそんでいるんだろうか。なにしろ『森の魔女』だからな)
青くなってしまった髪の毛を指に絡めて梳く。染めていても指どおりはなめらかだ。