森の魔女と囚われ王子 《 第一章 12

 白金髪の王子の動向をうかがいながらリルは酒を飲み進めていた。いつ王子の手があくかわからないから、ほかの男とのんびり踊っているひまはない。

(う……。気持ち悪い)

 ふだんは美容に気を遣って酒などほとんど飲まない。王子はまだかまだかと、ロランに渡されるままワインをあおっていたら飲みすぎてしまった。

「私、少し夜風に当たってくるわ」
「ああ、では僕も」
「――おや、これはトランバーズ伯爵」

 タイミング悪くというか、ロランがどこかの貴族に話しかけられた。リルは会釈をして兄に目配せをして、テラスへ急ぐ。

(は、吐きそう……)

 もはや王子どころではない。自分がこんなにも酒に弱いのだと、28歳にして初めて知った。
 1階のテラスにはさいわい誰もいなかった。白い柵に両手をついてもたれかかり、下を向く。

(吐いたほうが楽になるかしら……)

 うぷ、と込み上げるものを腹のなかに押しとどめながら必死にこらえる。もういっそ出してしまいたい。
 さすがにここで胃のなかのものを戻してしまうのはいけないから、スロープをとおって庭へとおりる。
 暗い庭へひとりで歩いていくリルはよろよろとふらついていた。

「――どうなさいました?」
「……っ!?」

 急に手首をつかまれてあせる。振り返ると、そこにはお目当ての白金髪――ルアンブル国の王子がいた。

(な、なんでいまなの!)

 心のなかだけで発狂する。先ほどから話しかけたいと思っていたが、よりによって気分がすぐれないいまとは――。

「っ、す、少し飲みすぎてしまって……。その、気持ちが悪くて」
「ああ、そうなんですか」

 王子はつかんだままのリルの手首を軽く引っ張り、白い素肌に親指を当てた。脈をはかっているようだ。

(医者みたいなことをするのね)

 きょとんとそれを見つめる。

「脈は早いけど乱れてはいない。ただの飲みすぎのようですね」
「ええ……。っ、う」

 口もとを手で覆い、ぐっ、とこらえる。もういよいよ危ない。

「あちらの隅へ行きましょう」

 王子はリルの肩を抱いて庭の隅へ誘導した。うながされるままふらふらと歩き、大きな木の根もとに座り込む。

「戻してしまったほうがいいですよ」

 大きな手のひらが背中をさする。初めて会ったひとの前で――しかも一国の王子の前で吐くなど言語道断。そうは思えど、込み上げてくるものを制御できなかった。

「……っ、ぅ、う」

 ダンスホールからは優美なワルツが響いてくる。それに引き換え嘔吐する自分のうめき声はひどく醜く汚らわしい。
 リルが嘔吐をしているあいだじゅう、王子は彼女の背を優しくさすっていた。


「……申し訳ございませんでした」
「いえいえ、どうかお気になさらず。僕が勝手に付き添ったんですから。少し待っていてください。水をもらってきます」

 胃のなかのものをひととおり戻し終えたリルは、颯爽と走り去っていく王子を呆然と見つめた。

(とんでもなくいいひとね……)

 彼が令嬢たちに人気があるのは納得だ。底抜けに優しい。
 ハンカチで口もとを押さえてうつむいていると、間もなくして王子が戻ってきた。手には水が入ったワイングラスを持っている。
 リルは礼を述べながらそれを受け取り、はしたないとは思ったがのどが渇いていたのでいっきに飲み干した。

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