森の魔女と囚われ王子 《 第一章 14

「森に住んでるんだ? それは楽しそうだね」

 オーガスタスは唇の端を跳ね上げたままゆっくりと両手を顔の横に掲げた。

「それじゃあ、どうぞ僕を誘拐してください、リル」

 ふたりのあいだをひゅうっ、とつめたい夜風が吹き抜けた。夜空色のドレスの裾がひらひらと揺れる。

「え、と……いいの? あなたはそれで大丈夫なの?」
「平気、平気。なにも問題ない。僕が突然姿を消すのって、わりと日常茶飯事だから。リルが咎められることもないと思うから、心配しないで」

 彼の体液を搾取するといっても、具体的にどうすればよいのかよく考えなければわからないことだ。なんにせよ、ここですぐにどうにかできることではないから、どこかへ連れて行く必要がある。
 彼がリルの屋敷に赴いてくれるのならばそれに越したことはない。
 ここはひとつ「咎められることはない」という彼の言葉を信じて誘拐してみよう。ロランにも、迷惑はかけないはずだ。

「ありがとう、オーガスタス」

 リルは言いながら、あごに手を当てた。

(でも、どうやって連れて帰ろう?)

 公爵家の馬車には乗せられない。ルアンブル国の王子を森の家に連れて行くとロランに言えば、なにをするつもりだと深く追求されてしまいそうだ。
 考え込むリルの顔をオーガスタスがのぞき込む。

「もしかして、どうやって連れ帰ろうかって考えてる?」
「ええ……」
「それなら、馬を一頭だけ用意してもらえれば大丈夫。誘拐なわけだから、馬車じゃ目立つし時間もかかる」
「わ、わかったわ」

 はたして誘拐という体《てい》を成しているのか疑問に思いつつ、リルはオーガスタスとともにダンスホールへ戻り、主催者の執事に馬の用意と、それからロランに宛てて「先に帰る」という旨の伝言を頼み、庭を汚してグラスを割ってしまったことを謝った。


 馬は迎賓館の裏門に用意された。鞍のついた若々しい白馬だ。

「鞍は要らない。手綱だけでじゅうぶん。裸馬のほうが気持ちよく走れる」

 オーガスタスは馬の鞍をぽいっと放るようにして、側に立っていた馬丁に渡した。

「さあ、乗って。リル」

 ぐいぐいと背を押され、踏み台に足をかける。抱え上げるようにしてなかば強引に馬に乗せられた。馬に乗るのは久しぶりだし、まして裸馬は初めてだから落ち着かない。

「よ……っと」

 彼自身は踏み台を使わず、その場で跳躍して鮮やかに馬にまたがった。長身なのにくわえてジャンプ力もあるからできることだろう。

「この馬はルアンブル国がもらい受ける。請求はアーウェル・クレド・ルアンブルによろしく」

 にっこりとほほえんで手綱を取り、オーガスタスが馬を走らせる。

「ひゃっ!」

 急に動き出してしまった馬と、それから跳ねるような乗り心地に不安を覚えて彼の背をつかむ。

「ほら、しっかりつかまっていて。腕をまわしてひっついていないと、落ちてしまうよ」

 リルは言われたとおりオーガスタスの背にしがみついた。
 彼の体はずいぶんとがっしりしている。病弱だったという話をロランから聞いていたから、もっと華奢だと思っていた。病弱というのはあくまで幼いころに限定した話だったのだろう。

「はあ、やっぱり馬で駆けるのは気持ちがいいね。それで、次はどっち?」
「み、右の道だけど……ちょっ、ちょっと速すぎない!?」

 街路を抜けて田舎道にさしかかったオーガスタスはいっそう馬をたきつけて速度を上げた。

「このくらいのほうが頬に当たる風が爽快だ。あ、もしかして馬酔いしちゃった?」

 舞踏会場で飲みすぎていたのを揶揄《やゆ》しているような口ぶりだ。

「へ、平気……。いまのところは」
「そう。じゃあもっと速くしよう」

「ええっ!? やっ、やめて!」
 ははっ、と大きな笑い声を上げるオーガスタス。行動もそうだが、王子様然とした見た目によらずなにごとも豪快だ。

(なんなのよ、このひと――!)

 馬はますますスピードを上げる。リルは振り落とされないようにと、しっかりと彼の体を抱きしめた。

「――リルの体、温かくてやわらかい」

 王子のつぶやきは、風切り音が邪魔をしてリルの耳には届かない。
 彼の白い上着が風になびいて大きくひるがえる。上着の裾にほどこされた緻密な金銀刺繍が、満ちた月の明かりを反射してまばゆく光っていた。

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