森の魔女と囚われ王子 《 第三章 03

「ふん、ふん、ふん~」

 オーガスタス・クレド・ルアンブルは鼻歌を歌いながら森を散策していた。
 空は曇天だが森の空気はいつもどおり澄んでいて、気持ちがよい。
 なににもとらわれず、なにも考えずにこうして自由に森のなかを歩くことが昔から好きだった。ルアンブル城下の森も、よくひとりで探検していた。
 ひとりでいることが、つねだったのに――。

(リルのお兄さんはもう帰ったかな)

 不意に立ち止まり、曇り空を見上げる。

(リルは嘘がへただからな……)

 自分の存在が彼女の兄に知れていないことをせつに願う。
 オーガスタスはふたたびゆっくりと歩き出した。
 この森へは軽い気持ちで来た。ほんの二、三日で帰るつもりだったのに、リルの行動や仕草がおもしろくて――かわいくて、つい長居をしている。

(僕が本当にただの旅人ならよかったのに)

 マレットについた嘘が現実になってほしいと思ういっぽうで、いくら理想を並べたところで現実は変わらない。このままずっとこの森に雲隠れしているわけにはいかない。
 だからといって、きゅうくつな城暮らしは彼女には似合わないから、連れて帰るのは忍びない。
 城のなかは昔から居心地が悪い。
 いちばん初めにそれを感じたのは、母親にうとまれていると知ったときだった。

『あの子の目を見てると思い出すのよ、お義母様のことを。なんて忌々しいのかしら』

 眉をひそめ、うっとおしそうに母親が侍女に愚痴を漏らしているのを、たまたま目撃してしまった。母親の私室には入るに入れず、そのままとんぼ帰りして泣いた。
 オーガスタスのオッドアイは祖母ゆずりだ。母親は祖母――父親の母とは犬猿の仲だったらしい。
 ああ、だから母親は自分と目を合わせてくれないのか、とその当時妙に合点したのをいまでも覚えている。

(リルは本当のところ、この瞳をどう思っているんだろう)

 母親からは、祖母の瞳を思い出すからという理由で毛嫌いされていたが、それでなくても左右で瞳の色が違うのは奇異だ。気味が悪いと思われても仕方がない。
 他人からどう思われるのかも気にはなるが、いまはリルだ。
 彼女が自分をどう思っているのかが、目下の関心事項。
 理由は明確だ。リルに、惹かれているから。
 未亡人なのに、大人の色香を感じさせず少女のようにうぶで初々しい。リルの前の夫はどんな男だったのだろうかと、ごく最近はそれも気にかかる。

(そろそろ戻るか。……いや。早すぎるな)

 まだ一時間ほどしか経過していない。いま戻ったら、リルの兄と鉢合わせしてしまう。そうなってしまっては、ひとり寂しく散歩に出た意味がない。
 大きく息を吸い込む。自分自身を落ち着かせるように長く静かに息を吐き、オーガスタスは鼻歌を再開して森のなかを進んだ。
 歩きながら天を仰ぐ。空の雲は濃くなるいっぽうだ。

(雨が降るかもしれない)

 雲が晴れる気配は、少しも感じられなかった。

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