リルと少年がロランの屋敷につく頃には雨はだいぶん小ぶりになっていた。
ロランの屋敷の裏口で少年と向かい合う。リルは軒下、少年は傘をさしたままだ。
「それじゃ、お姉さん。よくわからないけど頑張ってね。近いうちに必ず僕の家に遊びに来て。ふたり、そろって」
「ええ……。必ず」
ふたりそろって、というのは守れないかもしれないと思った。そのときはまた彼に愚痴をこぼすことになってしまいそうだ。
(ううん、そんな弱気でどうするの)
リルは小さく首を横に振って、自身を奮い立たせ、少年の姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
くるりとうしろを向いて、裏口のドアノッカーを鳴らす。
「――まあっ、リルお嬢様!」
裏口はメイドの休憩室につながっている。
扉を開けて出てきたマイアー家のメイドは雨に濡れているリルを見るなり血相を変えた。
「すぐにご入浴の準備をいたしますっ。お召し替えをしなければ」
顔見知りである老年のメイドはあわてたようすで年若いメイドになにやら指示を出しはじめた。
「ああ、いいの。どうかお気遣いなく。それよりも、お兄様はいま屋敷にいらっしゃる?」
「はい、いらっしゃいますが、しかし……」
「すぐに会わせてもらえるかしら。お願い」
白髪頭のメイドは眉尻を下げて「わかりました」といかにもしぶしぶ言った。
ロランの執務室へと歩く。ドレスの肩口はいまだに濡れているが、すそは乾いていたのでマイアー家の重厚なカーペットは汚れずに済んでいる。
メイドの取次ぎでロランの執務室へ入る。
なんの前触れもなく、薄汚れたドレスで訪ねてきたリルにロランはとても驚いていた。
「なっ、どうしたんだい、リル。早く着替えなさい」
「ううん、いいの。今日は頼みがあって来たの」
急いでいるのだと付け加えてリルは続ける。
「お兄様、頼りにしてばかりで本当にごめんなさい。私、ルアンブルの王子に求婚したいの」
一息に言った。ロランには怪訝な顔をされるか、もしくは驚かれるだろうと思っていたのだが、そのどちらでもなかった。
彼の表情はまったく変わらずそのままだ。呆れられているのだろうか。
しばらく黙って兄のようすをうかがっていた。ロランはおもむろにあごに手を当てて首をかしげる。
「ルアンブルの王子? はて、それはいったい誰のこと?」
兄の記憶力はとてもいいほうだ。明らかにとぼけている。お門違いとわかっていても少しいらだってしまう。
「お兄様も知ってるでしょう? 仮面舞踏会にいた白金髪の彼よ」
真剣な眼差しでリルはロランを見つめる。
「おや、おかしいな」
ロランの淡褐色の瞳が細くなっていく。
「きみの言う白金髪のルアンブル国王子は王位継承権を弟に譲って出奔したそうだよ。だからもう王子ではない」
「ええっ!?」
前 へ
目 次
次 へ
ロランの屋敷の裏口で少年と向かい合う。リルは軒下、少年は傘をさしたままだ。
「それじゃ、お姉さん。よくわからないけど頑張ってね。近いうちに必ず僕の家に遊びに来て。ふたり、そろって」
「ええ……。必ず」
ふたりそろって、というのは守れないかもしれないと思った。そのときはまた彼に愚痴をこぼすことになってしまいそうだ。
(ううん、そんな弱気でどうするの)
リルは小さく首を横に振って、自身を奮い立たせ、少年の姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
くるりとうしろを向いて、裏口のドアノッカーを鳴らす。
「――まあっ、リルお嬢様!」
裏口はメイドの休憩室につながっている。
扉を開けて出てきたマイアー家のメイドは雨に濡れているリルを見るなり血相を変えた。
「すぐにご入浴の準備をいたしますっ。お召し替えをしなければ」
顔見知りである老年のメイドはあわてたようすで年若いメイドになにやら指示を出しはじめた。
「ああ、いいの。どうかお気遣いなく。それよりも、お兄様はいま屋敷にいらっしゃる?」
「はい、いらっしゃいますが、しかし……」
「すぐに会わせてもらえるかしら。お願い」
白髪頭のメイドは眉尻を下げて「わかりました」といかにもしぶしぶ言った。
ロランの執務室へと歩く。ドレスの肩口はいまだに濡れているが、すそは乾いていたのでマイアー家の重厚なカーペットは汚れずに済んでいる。
メイドの取次ぎでロランの執務室へ入る。
なんの前触れもなく、薄汚れたドレスで訪ねてきたリルにロランはとても驚いていた。
「なっ、どうしたんだい、リル。早く着替えなさい」
「ううん、いいの。今日は頼みがあって来たの」
急いでいるのだと付け加えてリルは続ける。
「お兄様、頼りにしてばかりで本当にごめんなさい。私、ルアンブルの王子に求婚したいの」
一息に言った。ロランには怪訝な顔をされるか、もしくは驚かれるだろうと思っていたのだが、そのどちらでもなかった。
彼の表情はまったく変わらずそのままだ。呆れられているのだろうか。
しばらく黙って兄のようすをうかがっていた。ロランはおもむろにあごに手を当てて首をかしげる。
「ルアンブルの王子? はて、それはいったい誰のこと?」
兄の記憶力はとてもいいほうだ。明らかにとぼけている。お門違いとわかっていても少しいらだってしまう。
「お兄様も知ってるでしょう? 仮面舞踏会にいた白金髪の彼よ」
真剣な眼差しでリルはロランを見つめる。
「おや、おかしいな」
ロランの淡褐色の瞳が細くなっていく。
「きみの言う白金髪のルアンブル国王子は王位継承権を弟に譲って出奔したそうだよ。だからもう王子ではない」
「ええっ!?」