森の魔女と囚われ王子 《 第五章 08

「ちょっと……おふたりさん」

 ロランがなにか言ったような気がしたが、頭のなかをすり抜けていった。

「――でも、どうして出ていく前に言ってくれなかったの?」

 リルはオーガスタスを見上げて尋ねた。彼が苦笑いをする。

「だって、リルも僕のこと好きかなんてわからないから……怖かった。それに、じつはあのときはまだ医者になるって決めていたわけじゃないんだ。いままでなに不自由なく奔放に暮らしてきたからね」

 オーガスタスはリルの黒い髪の毛を指に絡めながら肩をすくめた。完全にふたりの世界だ。

「すべて捨てて、本当に自立してやっていけるのか……いまだに不安はあるよ。でもやっぱり、あなたと一緒にいたいと思った。そうするには、医者になってリルのそばで暮らすのがいちばんかなって。リルは王妃ってガラじゃないし」

 こくんとうなずいて同意するものの、彼にそこまでさせてよかったのかとも思ってしまう。
 本当にそれでよかったの? と尋ねようとしていると、先にオーガスタスが口をひらいた。

「これからも、あなたとともにありたい。リルと離れてみて、よけいにそう思った」

 国を捨ててもね、とオーガスタスは小声で付け足している。

「アーウェルには……弟には後日あらためて謝罪に行くよ。なにもかも、押し付けてきてしまった」

 彼の表情がほんの少しだけかげったが、後悔しているようなふうではない。どちらかというと、申し訳のなさそうな顔だ。弟に対してだろう。

「リル。これからもどうか、あなたの家に居候させてください。家賃は、とうぶん免除してもらえると助かる」
「……夫から家賃なんて取らないわ」

 リルは目尻に涙をためたまま笑う。

「結婚、してくれるんでしょうね?」
「もちろん。……ああ、僕は自分勝手な幸せ者だ。まわりに迷惑ばかりかけている」

 湿ったドレスの腰を撫で上げる手がとても温かい。

「それはたぶん……私も。これから一緒に、恩返しをしていきましょう?」

 リルが話し終える前に鼻の頭がぶつかり、言葉を終えるのと同時に唇が重なった。待ちきれない、と言わんばかりだった。

「ん、ん……っ」

 冷えた唇に灼熱の舌が這い、すぐになかへ侵入して歯列を舐めたどる。

「ちょっ、おまえたち……! そっ、そういうことはふたりきりのときにしなさいっ! というか、すぐにでも恩返ししてもらいたいものだよ、僕に!」

 またしてもロランがなにか言っている。しかしやはり、はっきりとは聞き取れない。濃厚な口付けのせいで、頭のなかがくらくらしている。

「ふ、ぅ……」

 あとから思う。意識が混濁していたのは、口付けのせいだけではなかったのだと。

「……――リル、リルッ!?」

 視界がぼやけていく。
 自分自身を支えきれなくなったリルは、オーガスタスの胸にぐたりと倒れ込んだ。

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