「神澤さんが仕事を振ってこなかったら、時間あります」
そうでなければいつもどおり残業だろう。
「うーん……仕事は、今日もたくさんきみに振る予定だ」
神澤は優香の頬に手を添えてからほんの少しだけ首を傾げた。
「少しでもいい。うちに寄ってもらいたい」
どきっと胸が高鳴る。なぜそうなったのか、説明はできない。
「……なぜ、ですか?」
どうしてか彼と目を合わせていられなくなって、優香は倉庫の隅に視線を投げる。
「きみと話がしたいから」
神澤のほうは、優香から少しも目を逸らさない。
「わ、私も……あります。お話ししたいことが」
ずっと視線を逸らしているのも失礼だと思い、ゆっくりと彼の顔を見る。
「うん……じゃあ、また夜に」
そう言った神澤は、安心したような穏やかな顔をしていた。
勤務を終えた優香は神澤が運転する車で彼の家へ行った。
リビングのソファに腰を落ち着けると、彼はなにやらてきぱきと準備を始めた。
「――はい。どうぞ」
優香は「ありがとうございます」と言いながらティーカップを受け取る。
「いい香り……」
カップの中身はハーブティーのようだった。香り立つ湯気を吸い込んだあとで、口をつける。まろやかで、身も心も落ち着く味だった。
ハーブティーをすべて飲み干した優香はゆっくりとティーカップをローテーブルの上に置いた。それから、大きく息を吸い込む。
「わ、私……もう崖っぷちなんです」
神澤はとなりに座っているものの、先ほどからなにもしゃべらないので、いま話してしまおうと思った。
「今年は本腰を入れて結婚相手を探すつもりなんですっ」
――だから、その気がないのなら家に招いたりなんかしないで。
そこまでは口にできなかったが、神澤には伝わったと思う。
神澤が深呼吸をする。そんな彼を、優香は横目で見る。
「俺だってもういい歳だ。本気じゃなかったらあんなことしない」
彼が体ごとこちらを向く。
「いや、その前にちゃんと言わなかった俺が悪いのには違いないんだけど」
ぎゅっ、と手を握られれば、優香も彼のほうを向かずにはいられない。
「俺と、結婚を前提に付き合ってください」
耳を疑う、とまではいかなかったのは、心のどこかでその言葉を期待していたからだ。
優香は一回だけ、こくりとうなずく。すると神澤は破顔した。
「お互いのこと、もっと知りたい」
その言葉とともに抱き締められる。少し苦しいくらいだ。
それから神澤はぽつりと言った。
「酒の勢いで先に手を出してしまったけど、きみのことちゃんとつなぎ止めておかないとどっか行っちゃいそうだなと思った」
彼の唇がちゅっ、と首すじに押し付けられる。
「きみのストラップと同じだよ」
彼の腕に、いっそう力がこもった。
FIN.
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熊野まゆ