伯爵ときどき野獣 《 番外編 01

 フレデリックは思っていたよりも嫉妬深い。結婚してから、それを知った。


「……っ」
 クレアは眉根を寄せ、大波のように激しくうねる陣痛に耐えた。つい最近、外交官に抜擢されたフレデリックはいまこの国にいない。あと数日は屋敷に戻らないだろう。
 臨月を迎えたばかりのクレアにおとずれたのは急な陣痛。昨日、無理をして動きまわったせいだ。
「お姉ちゃん、気をしっかり持って」
 クレアが横たわるベッドのかたわらには彼女の妹アビーが付き添っていた。クレアの手をしっかりと握り込んでいる。
「うん……。ありがとう」
「大丈夫、大丈夫よ、お姉ちゃん」
 すでに一児の母である妹の言葉はとても心強い。クレアがほほえむ。
「フレデリックは、間に合うかしら……」
 海の向こうにいるであろう夫に想いを馳せ、クレアは静かにまぶたを閉じた。子を宿す前のことを、ふと思い出した。

***

「おい、今日も妹さんのところへ行くのか」
 クレアはびくりと肩を震わせ、玄関先で立ち止まった。
「え、ええ……」
「俺は仕事があるのに、きみはあの可愛い赤ん坊を今日も見に行くというのか」
「だって、仕方がないじゃない。あなたは仕事があるんだから。では、ごきげんよう」
「おい、待て」
 クレア、と呼び止めてくるフレデリックの言葉を無視して玄関先の階段を駆けおりる。
 先日、結婚したばかりの妹に子が産まれたのだ。業務の終了時間とともにクレアは診察室を飛び出して姪の姿を拝みに行く毎日だ。
 しかしフレデリックはそれを快く思っていないらしい。というよりも、彼自身も赤ん坊の顔を見たくて、しかしここのところ領主の仕事以外にも国の仕事を担い始めたせいで忙しく、姪のもとを訪ねることができないから嫉妬しているのだ。
 妹が住む屋敷に着いたクレアはドアノッカーをコンコンッと鳴らし、すぐに玄関扉を開けた。エントランスホールにいた顔見知りのメイドに「お疲れ様」と声をかけ、迷わず妹の寝室へ向かう。
「アビー、具合はどう?」
「ええ、すこぶるいいわ」
 天使と見まごう生後一週間の赤ん坊はアビーの乳首をちゅうちゅうと吸っている。クレアはベッドわきの丸椅子に腰かけ、それをほほえましく眺めた。
「ところでお姉ちゃん、こんなに毎日来ていて大丈夫なの? フレデリック様に咎められたりしてない?」
「えっ? ええ、平気よ。ただ、彼はいますごく忙しくて、この子の顔を見たくて仕方がないみたいだけど、それがかなわなくて、苛立っているみたい」
「なによそれ、全然よくないじゃない! フレデリック様のお仕事をお手伝いして差し上げたらどうなの?」
「一応、申し出てはみたけど断られたのよ。そもそも私ではよくわからないことだし。国の外交にかかわってるみたい。ああ、それにしても可愛い」
 アビーの乳首をくわえたまま眠っている姪の頬をそっと撫で、赤ん坊を抱く。ベッドのすぐそばに置いてあるベビーベッドに、慎重に寝かせた。
「うーん、フレデリック様が苛立ってらっしゃるのは、それだけじゃないと思う。お姉ちゃんが私のところにばかり入り浸っているから寂しいのよ」
「そうかしら?」
「そうよ、絶対。だからほどほどにして帰ってね、お姉ちゃん」
「はいはい、わかってますって」
 クレアは妹の言葉を聞き流し、赤ん坊の柔らかな髪の毛に優しく触れた。


前 へ    目 次    次 へ


Sponsored link by Renta!