伯爵ときどき野獣 《 番外編 02

 その日、伯爵邸に戻ったクレアはフレデリックが夕食のあいだじゅう不機嫌なのを気にかけて彼の寝室を訪ねた。
「ねえ、そろそろ機嫌を直してよ、フレデリック」
 フレデリックは布団を頭からかぶってベッドに横たわっている。もう一度だけ「ねえ」と呼びかける。すると目もとだけ布団から出てきた。
「……そんなに俺にご機嫌になってもらいたいのか」
「え、ええ……。思っているわ」
「だったらきみを縛っていいか」
「……は?」
 彼とは反対側に腰かけて身をよじっていたクレアはぽかんと口を開けた。
「きみを縛っていじめたい気分なんだ。無性に」
「し、縛って……いじめる!?」
 その発言に危機感を覚えて立ち上がる。そんなクレアをフレデリックが追う。幾重にも巻かれた紐を手に持っている。初めからそのつもりだったのだ。
「いっ、いやよ! 痛そう」
「きみは身体が柔らかいから、そう痛くはないはずだ。試してみよう」
 じりじりと窓ぎわに追い込まれた。フレデリックの表情は恍惚としている。
「いや……っ!」
 クレアはテラスへ逃げた。裏庭に面するこのテラスの周辺は外灯が少なく薄暗い。吹き抜ける夜風はそうつめたくはないが、あまり長居はしたくない。
「ほ、本気なの……?」
 フレデリックはなにも答えない。無言で腕が伸びてくる。
「……っ!」
 肩をつかまれ、テラスの柵に身体を押し付けられた。強引に座らされる。両手首を背中でひとまとめにされ、クレアはあせりながら彼の名を呼ぶ。
「ねえ、フレデリック……! こんなこと」
 やめて、と言いながら銀髪の男を見上げる。最近の彼は髪を切るひまもないらしく、以前よりも長くなった前髪が目もとを隠していて、表情を読み取りづらい。それでも、フレデリックが本気なのはわかった。クレアの手首をテラスの柵といっしょくたにぐるぐると紐で縛っている。紐は思ったよりも柔らかく、さほど痛くはない。
 クレアは碧い瞳を不安気に揺らして彼を見つめる。
「っ、や……!」
 淡いピンク色のフリルがついたネグリジェをシュミーズごといっきにまくり上げられた。
ドロワーズも、ずるりと引き下げられる。バタバタと大きく足を動かして抵抗を試みるが、ドロワーズはむなしく足先から抜けていった。
 フレデリックがふたたび紐を手に取る。
「さて、どんなふうに縛り上げようかな」
 にいっと顔をゆがめ、フレデリックはクレアの耳たぶをれろりと舐めた。酒のにおいがした。
「やだ、酔ってるの……!?」
 彼は酒を飲んでも顔色が変わらないから気がつかなかった。
「さあ、どうだったかな」
 酒を飲んだことを覚えていないほど泥酔しているのか。そう思うとますます不安になる。
「ねえフレデリック。酔いをさましてからにしたほうがいいわ」
「酔いがさめたら、きみは俺に一晩じゅう抱かれてくれるのか?」
「ひ、一晩じゅうは、無理だけど……」
「ああ、そうだよな。きみはいつも途中で寝てしまう。俺はまだまだやりたいのに……。だから今夜は、絶対に眠らせない。いや、おちおちと眠れない状況を作ってやる」
 つめたいほほえみを浮かべる彼を目にして、ぞくりと身の毛がよだった。
 これは本当にフレデリックなのだろうか。よく見知った愛する彼とは別人のようで、恐ろしくなる。

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