ひきこもり令嬢は囚われの貴公子に溺愛される 《 序 章 逆賊の瞳

 ――おまえの瞳《め》はこの家の恥だ。だから、だれにも見せないの。


 ラスウェル公爵家の先祖には逆賊がいた。国王暗殺を企てたとして爵位を剥奪され斬首刑に処されたという。時の国王の圧政に耐えかねてのことだったが、暗殺未遂には違いなかった。その直後、国民によるクーデターにより時の国王は失脚した。ラスウェル家は新王からふたたび公爵位を賜ったが、かの当主が企てた暗殺未遂は国王が新たな施策とした『理性的平和主義』に反するため、逆賊の汚名返上は果たされなかったのである。


 ラスウェル公爵令息は日の光を浴びることができないほど病弱らしい。そんなうわさを当の公爵令息であるオーランドが耳にすることはなかった。すべては彼の母親であるラスウェル公爵夫人が、真実をひた隠すために吹聴したことである。
 今日が晴天なのか否か、オーランドにはわからなかった。窓は本棚で塞がれている。
 この世に生を受けて二十五年。オーランドは一度も屋敷の外へ出たことがない。貴族としてダンスや乗馬は習うことができたが、いずれも公爵邸の敷地内で事足りる。
 ラスウェル公爵邸の最奥、オーランドが住まう部屋の中には本があふれていた。壁だけでなく窓も、天井にまで届く本棚に覆われている。
 こんな奇妙な部屋を訪ねてくる者は少なかった。――母親は、毎日のようにやってくるが。オーランドとは視線すら合わせず、息子がこの部屋にいることを確かめるためだけにやってくるのだ。
 母親とは別に、もう一人だけこの部屋を訪ねる者がいる。きっと、哀れまれているのだと思う――。


「外の世界を見ておいで」
 唐突に言われ、オーランドは顔を上げ、本から彼へと視線を移す。
「なに、どういうこと?」
「そのままの意味だよ。きみは外へ出てみるべきだ」
「……無理だよ。母上が許してくれない」
「それはまあ……そうだろうね。でも問題ない。きみと僕が入れ替わるんだ」
 オーランドは口を半開きにして目をみはった。
「そんな……すぐにばれてしまうよ。僕はこんなだから。それに、いまさら外へ出たいとも思わない」
「それは本心か? ……それとも、母親に遠慮しているのか」
「……わからない」 
 ぼそりとそうつぶやくと、彼はあきれたようにふうっと大きくため息をついた。
 逃げ出そうと思えばできる。ただ、逃げ出したところで頼る相手がいない。だから大人しくここにいる。
「きみが僕に成り代わっても、ばれやしない。これを身につけていれば大丈夫。きみと僕は背格好も顔立ちもよく似ているし」
 ――たしかに、似ている。境遇には……天と地ほどの差があるが。
「外の世界を知って……もし、ここへ帰りたくなくなったら、それでもいいよ。きみは好きなところへ行くんだ。そうなったら僕はここを抜け出してもとの生活に戻るだけだから」
「……好きな、ところ……」
 一度も敷地の外へ出たことがないゆえに『好きなところ』がわからない。そんな場所はありはしないが、オーランドは彼になにを言うでもなく視線を本棚へ投げた。
「外へ行けばきみはおそらく貴族令嬢に囲まれるだろう。そのうちのだれかをたらしこんで姿を消すんだ。僕は日ごろからそういうことをしているから、怪しまれないはずだ。きみも、そういう知識はあるだろう? 僕がこっそりあげた本はぜんぶ読んでるんだろ」
「………」
 オーランドが押し黙ると、彼はいたずらっぽく笑った。
「きみは頭の回転が速いし僕からいろんな情報を得ているから、少々の受け答えなら問題ないだろう。僕の話し方や立ち居振る舞いは、真似できるね?」
 彼とはもう長い付き合いだ。やろうと思えばできる。それに、彼は年齢が近い唯一の話し相手だ。話し方も、自然と似てしまっているだろう。オーランドは小さく「うん」と返事をする。
「よし。では明日の晩、あの窓を開けておいて。迎えにくる」
「窓を開ける……のは、一苦労だな」
 本棚に入っている書物を全て移動させなければ、棚を動かすことができない。そうなると、かなり時間がかかる。しかも、母親に見つからないようにしなければならないので、彼女がここを訪ねる夕方以降の作業になる。
「外には楽しいことがあふれているよ。本の中とはまったく違う。百聞は一見にしかず、だ」
 笑みを深めて部屋を出て行く彼を、オーランドは不安げに見送った。

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