木々が生い茂る森の奥深くに異彩を放ってぽつんと建立する小さな屋敷は魔女の棲家だ。
妖しき森の魔女と呼ばれるリル・マクミランは、魔女らしからぬピンク色を基調とした部屋にいた。鏡の前でにっこりとほほえんでいる。
――鏡よ鏡、世界でいちばん美しいのはだあれ?
などと問いかけるのはとうの昔にやめた。そんなことをしても不毛なだけだ。
鏡は目の前にあるものが美しいかそうでないかを如実に映すだけ。そう、目じりのしわだって包み隠さず映すのだ。
(うっ、うそ……! し、しわが、増えてるっ?)
笑顔から一変して、しかめっ面になる。両手で目もとを押さえてうえに引っ張り上げてみるものの、しわが消えるのは一瞬。指を離せばふたたび憎きそれが現れる。いや、きっとたいしたことはない。たいして目立つしわではないのだが――。
リルは「ふう」と大きく長くため息をついてうなだれた。
王都のはずれに広がるこの森の奥深くに住み始めたのはいまから五年前、リルが二十歳のときだ。
リルが住む森の家は大きくはないが洗練されている。公爵家の長男である実兄の全面的な援助で成り立っている邸宅だ。
兄には生活費まではもらっていない。いくらなんでもそこまで迷惑をかけるわけにはいかないから、薬剤師の資格を取って森の薬草を調合し、街で売って生計を立てている。
まっすぐな黒い髪の毛に血のような紅い瞳を持つリルは、気味が悪い、縁起が悪いだのと陰口や悪口を叩かれ、王都からこの森に逃げてきた。
容姿をさんざんに言われてきたせいで、かえって美容には気を遣っていた。せめて若々しくありたいと、渇望している。
リルは白いドレッサーの前の四角い椅子から立ち上がり、部屋の隅に駆けた。
角に添うように置いてある机の壁際にはさまざまな本が種類別に並んでおり、段は三つある。
リルは本棚の右下、いちばん端にある分厚い本を手に取った。本をひらき、ページのあいだにおさまっているカードを取り出す。リルが手にしたカードには色鮮やかな絵が描き込まれている。
決められた手順にしたがってリルはカードを並べ、広げ、瞳を閉じて数枚を選んだ。彼女が行っているのは占いだ。
リルは昔から占いが好きだった。森の奥深くに住み始めたのも、占いでそう示されたからだ。たかが占い、されど占い。それが彼女の原動力。
紅い瞳がとらえたカードは四枚。このカードに文字は刻まれていない。描かれている絵から読み取る。リルは左端のカードに目を向けた。
山間に沈むオレンジ色の太陽。リルはそれを夕陽だと受け止めた。ひとによっては朝陽だと思うかもしれないけれど、とにかく夕陽に見えた。しかし太陽はカードの隅にほんの少しだけしか描かれていない。手前には、丸いコンパス。
(太陽とコンパス――わかったわ、方角を示しているのね。太陽が沈むのは、西)
謎解きをするように、リルはカードからキーワードを読み取っていく。すべてのカードを調べ終えたリルは横一列にカードを並べ、首をかしげた。
(西・体液・王子・搾取――いったいなんのことかしら)
腰かけていた白い椅子がキイッときしんだ。リルが背中を椅子にあずけたからだ。脚と腕を組む。淡いピンク色の簡素なドレスがひらりと揺れる。
(西に住む王子の……体液を、搾取する?)
そうすれば若さを保つことができるのだろうか。リルが占ったのは、若さを保つ――いや、これ以上は老けない方法だ。
うーん、と頭をひねって考え込んでいると、コンコンと甲高いノック音がした。誰かが玄関のドアノッカーを叩いたのだ。
リルは「はーい」と返事をしながら椅子から立ち上がり、玄関へ向かった。ここを訪れる者はそう多くない。休日の昼間にリルの屋敷を訪ねてくる者は数少ない。
「ご機嫌うるわしゅう、お兄様」
木製の白い扉をひらき、壮年の兄を迎える。
透きとおるような蒼い髪の毛をうしろでひとまとめにして優雅にほほえんでいるのはリルの実兄、ロラン・マクミラン、トランバーズ伯爵だ。
「やあ、リル。元気にしていたかい?」
ロランが淡褐色の瞳を細めた。公爵家の長男であるロランは王城での執務と、トランバーズ伯爵領の管理業務の合間をぬってひと月に二、三度ほどリルの屋敷へやってくる。表向きは、森の奥にひとりで住む彼女を気遣って訪問しているようだが、じつのところそれが彼の主目的ではない。
「毛生え薬、ちゃんと調合しておいたわよ」
「おいおい、その言いかたはやめてくれといつも言っているのに」
ロランはうかがうようにあたりを見まわし、屋敷のなかへ入った。毛生え薬という言葉を誰かに聞かれていないか確認したのだろう。山の奥深くなのだから無用な心配だ。
前 へ
目 次
次 へ
妖しき森の魔女と呼ばれるリル・マクミランは、魔女らしからぬピンク色を基調とした部屋にいた。鏡の前でにっこりとほほえんでいる。
――鏡よ鏡、世界でいちばん美しいのはだあれ?
などと問いかけるのはとうの昔にやめた。そんなことをしても不毛なだけだ。
鏡は目の前にあるものが美しいかそうでないかを如実に映すだけ。そう、目じりのしわだって包み隠さず映すのだ。
(うっ、うそ……! し、しわが、増えてるっ?)
笑顔から一変して、しかめっ面になる。両手で目もとを押さえてうえに引っ張り上げてみるものの、しわが消えるのは一瞬。指を離せばふたたび憎きそれが現れる。いや、きっとたいしたことはない。たいして目立つしわではないのだが――。
リルは「ふう」と大きく長くため息をついてうなだれた。
王都のはずれに広がるこの森の奥深くに住み始めたのはいまから五年前、リルが二十歳のときだ。
リルが住む森の家は大きくはないが洗練されている。公爵家の長男である実兄の全面的な援助で成り立っている邸宅だ。
兄には生活費まではもらっていない。いくらなんでもそこまで迷惑をかけるわけにはいかないから、薬剤師の資格を取って森の薬草を調合し、街で売って生計を立てている。
まっすぐな黒い髪の毛に血のような紅い瞳を持つリルは、気味が悪い、縁起が悪いだのと陰口や悪口を叩かれ、王都からこの森に逃げてきた。
容姿をさんざんに言われてきたせいで、かえって美容には気を遣っていた。せめて若々しくありたいと、渇望している。
リルは白いドレッサーの前の四角い椅子から立ち上がり、部屋の隅に駆けた。
角に添うように置いてある机の壁際にはさまざまな本が種類別に並んでおり、段は三つある。
リルは本棚の右下、いちばん端にある分厚い本を手に取った。本をひらき、ページのあいだにおさまっているカードを取り出す。リルが手にしたカードには色鮮やかな絵が描き込まれている。
決められた手順にしたがってリルはカードを並べ、広げ、瞳を閉じて数枚を選んだ。彼女が行っているのは占いだ。
リルは昔から占いが好きだった。森の奥深くに住み始めたのも、占いでそう示されたからだ。たかが占い、されど占い。それが彼女の原動力。
紅い瞳がとらえたカードは四枚。このカードに文字は刻まれていない。描かれている絵から読み取る。リルは左端のカードに目を向けた。
山間に沈むオレンジ色の太陽。リルはそれを夕陽だと受け止めた。ひとによっては朝陽だと思うかもしれないけれど、とにかく夕陽に見えた。しかし太陽はカードの隅にほんの少しだけしか描かれていない。手前には、丸いコンパス。
(太陽とコンパス――わかったわ、方角を示しているのね。太陽が沈むのは、西)
謎解きをするように、リルはカードからキーワードを読み取っていく。すべてのカードを調べ終えたリルは横一列にカードを並べ、首をかしげた。
(西・体液・王子・搾取――いったいなんのことかしら)
腰かけていた白い椅子がキイッときしんだ。リルが背中を椅子にあずけたからだ。脚と腕を組む。淡いピンク色の簡素なドレスがひらりと揺れる。
(西に住む王子の……体液を、搾取する?)
そうすれば若さを保つことができるのだろうか。リルが占ったのは、若さを保つ――いや、これ以上は老けない方法だ。
うーん、と頭をひねって考え込んでいると、コンコンと甲高いノック音がした。誰かが玄関のドアノッカーを叩いたのだ。
リルは「はーい」と返事をしながら椅子から立ち上がり、玄関へ向かった。ここを訪れる者はそう多くない。休日の昼間にリルの屋敷を訪ねてくる者は数少ない。
「ご機嫌うるわしゅう、お兄様」
木製の白い扉をひらき、壮年の兄を迎える。
透きとおるような蒼い髪の毛をうしろでひとまとめにして優雅にほほえんでいるのはリルの実兄、ロラン・マクミラン、トランバーズ伯爵だ。
「やあ、リル。元気にしていたかい?」
ロランが淡褐色の瞳を細めた。公爵家の長男であるロランは王城での執務と、トランバーズ伯爵領の管理業務の合間をぬってひと月に二、三度ほどリルの屋敷へやってくる。表向きは、森の奥にひとりで住む彼女を気遣って訪問しているようだが、じつのところそれが彼の主目的ではない。
「毛生え薬、ちゃんと調合しておいたわよ」
「おいおい、その言いかたはやめてくれといつも言っているのに」
ロランはうかがうようにあたりを見まわし、屋敷のなかへ入った。毛生え薬という言葉を誰かに聞かれていないか確認したのだろう。山の奥深くなのだから無用な心配だ。