伯爵は肉欲旺盛なお医者さま 《 序章 01

 真っ白なレース地のナースキャップが頂きに飾られた亜麻色のシニヨンはわずかばかり乱れていた。
 早朝から慌ただしく働いていれば夕方には髪型が崩れてしまうのは当たり前といえばまあそうだ。途中で髪の毛をまとめ直す時間すらなくエリス・ヴィードナーは毎日を忙しく過ごしていた。


「今月いっぱいでお暇を頂戴したいのですが」

 ヘーゼルナッツ色の瞳が一直線に白衣の男へ向けられる。
 診察室にはエリスと白衣の男――ジェラルド・アッカーソン、ノースヴェイン伯爵のふたりだけだった。今日の診察はすでに終了している。

「……なぜだ」

 椅子に腰掛け、カルテの整理をしながらジェラルドはうなるように言った。その視線はエリスではなくカルテを射ている。

「忙しすぎて見合いするひまもないからです」

 言うと、彼が鼻で笑ったのがわかった。

「そんなもの、理由になっていない」

 ジェラルドは嘲笑して言葉を次ぐ。

「それに、そんな貧乳じゃあもらい手なんてないと思うが」
「――っ!!!」

 感情を押し殺し、無表情を貫いていたエリスだが彼のその一言で眉間にシワが寄り、唇の片方がつり上がりヒクついた。堰を切ったように悪言を吐く。

「ほんっと先生は失礼な男ですね! その口をどうにかしなくちゃお嫁さんなんてこないですよ!」
「俺はさほど結婚願望はない」

 素知らぬ顔でトン、トンッと数枚のカルテを机の上でそろえ、まるで面白いものを見るような目でジェラルドはようやくエリスを見やった。彼女が憤るのを待っていたかのように。

「それより、その貧相な胸を大きくしてやる」

 彼の発言にエリスはますます憤然として言い返す。

「豊胸手術でもしてくださるんですか?」
「それは、高くつくがいいか? きみの給金じゃとても払えないと思うが」

 エリスはきゅうっと唇をかみしめた。こうして彼と口論になることはしばしばあるのだが、勝てたためしがない。
 ジェラルドが彼の母親のあとを継いで医者になったのはいまから7年前、彼が18歳のときだ。それから間もなくしてジェラルドは彼の父親から伯爵位を譲り受け、医者と領主という二足のわらじを履くことになった。
 ノースヴェイン伯爵邸で働くこと2年、エリスはメイド兼看護助手として多忙を極めている。
 診察が終わったあとはジェラルドの身の回りの世話に追われ、ここのところは領主の仕事も手伝わされている。それだけでも体がいくつあっても保ちそうにないというのに、くわえてもうひとつ、彼に強いられていることがある。じつのところそれこそが、いまの仕事を辞めたい最たる理由だ――。
 エリスは「ふうっ」と大げさにため息をついて窓ぎわへ向かった。うっぷんを晴らす勢いで窓のカーテンをシャッと両側から素早く閉める。

前 へ    目 次    次 へ