夕闇の王立図書館 《 番外編 01

 親友のジュリア、彼女の弟のクリフとともに王城の舞踏会へときていたアンジェリカ・ラガルドは息巻いていた。
 先輩司書のルーファスに連れ去られるジュリアを追って人混みをかきわけようとしていたら、力強く腕をつかまれて制されてしまい、瞬く間に彼女たちを見失ってしまった。
「ちょっと、クリフ! なにするの、放して。ジュリアを追いかけなくちゃ」
「この人混みじゃ無理だよ」
「あなた、ジュリアが心配じゃないの」
「そりゃ心配だけど……きっとすぐ殿下が見つけてくれるって。あのひとの、姉ちゃんに対する執着はすさまじいから。それより、僕たちも楽しもうよ」
 グイッと腰もとを引かれ、身体が密着する。最近になってずいぶんと背が伸びた親友の弟を見上げ、アンジェリカは頬をふくらませた。
「ジュリアが気になって、ダンスどころじゃないわ」
 ダンスホールなのだから、こうして身体を密着させて踊っていてもなんの不思議もないのだが、いまはそれどころではない。ジュリアを助けなければ。
「じゃあ僕が忘れさせてあげる」
「……っ!?」
 紅い髪が目の前で揺れた。唇に触れた彼のそれは一瞬だったけれど、とても熱く感じて頬が上気する。
「なに、する、の……」
「嫌だった? それなら謝る」
 アンジェリカは顔を合わせていられなくなってうつむいた。
(嫌なわけ、ないじゃない)
 幼い頃からずっと好きだったクリフとのキスが嫌なわけない。けれどこんなところで不意にキスをしてしまったことが少し悔まれる。
(ちゃんと告白してから、したかったのに)
 クリフはどんな気持ちで口付けてきたのだろう。こんなにあっさりと唇を合わせてしまうなんて、本望ではない。そして最近、耳にした彼の悪い話が脳裏をよぎって不安になった。 
 真偽をたしかめるべく、アンジェリカは彼を見上げて尋ねる。
「ねえクリフ、ここのところ夜遊びしてるって聞いたんだけど、本当なの?」
「……なんのこと」
「とぼけないで。騎士団の先輩と一緒に歓楽街へ行ってるんでしょう? そのかたはお兄様のお友達なの」
「……なんだ、確信があるのならそんな聞きかたしないで欲しいな」
 そう言ってこちらを見おろすクリフはひどく冷めた表情をしていた。ふだんとは違う一面にアンジェリカはひるむ。
「ジュリアは知らないんでしょう? ダメよ、あなたまだ若いんだから。そんなところに行くのはやめなさい」
 違う、本当はこんなことが言いたいのではない。
「姉ちゃんは関係ないだろ。そもそもアンジェにどうこう言われる筋合いはない」
 身が裂ける思いだった。自分は慕われていると思っていたのに、邪険にされて二の句が継げなくなった。
 このまま踊り続けるなんて到底できない。アンジェリカはクリフの胸を押しのけて足を止めた。
 背を向けて立ち去ろうとすると、そうさせまいとしているのかクリフはアンジェリカの腰をつかんで強引に抱き寄せた。
「アンジェが僕の性欲を満たしてくれるなら、やめるよ」
 抱き締めたまま、耳に息を吹き込むようにしてささやいた彼の声音は低く、アンジェリカは全身を粟立たせる。
(なにか、言わなくちゃ)
 けれど言葉が出ない。彼の意図している行為を想像すると、身が硬くなった。無言のままでいると、クリフは身体を離してアンジェリカの手首をつかんだ。そしてそのまま歩き始める。
「クリフ……ッ、どこに行くの」
 彼はなにも答えない。ダンスホールから庭へ出ると、爽快な夜風がドレスを揺らした。
「ねえ……クリフったら」
 広大な庭の奥まで進む。ダンスホールの明かりは届かなくなった。薄暗く、視界は不明瞭だ。
「……っ!」
 大きな太い木の幹に身体を押しつけられたと思ったら、その次の瞬間にはますます視界が悪くなった。

前 へ    目 次    次 へ