森の魔女と囚われ王子 《 第二章 02

 髪の毛を押さえようと片手を離した。濡れた岩場はすべりやすく、急に身を起こしたせいで手のひらが前へとずれ動く。

「きゃっ!?」

 踏みとどまれればよかったのだが、勢いあまってリルは湯のなかへと落ちた。
 ザバンッ、と大きな水しぶきがあがる。
 お湯のなかに沈み込んで窒息するということはなかった。オーガスタスがリルの体を支えているからだ。

「―――!」

 湯けむりのなか、ふたりは目を見ひらいていた。お互いの素顔に釘付けになっている。
 自分自身も見つめられていることをつい忘れてしまっていた。
 彼の目もとには火傷のあとなどなく、凛々しい眉と長いまつ毛がそなわっていた。

(瞳の色が――)

 オーガスタスの瞳にすべての意識を奪われる。
 碧い瞳はまるで葉が雫をまとっているようだった。朝露のようにすがすがしい色をしている。もう片方は、今宵の月のような金色。見つめていると、吸い込まれそうになる。
 オーガスタスは左右で瞳の色が違った。

「……リル」

 波のない静寂の泉に石を落としたように彼の声が波紋する。腹の底に響く低い声音だった。

「……っ」

 オーガスタスの声でわれに返ったリルはあわてて顔をそむけた。彼も同じで、首をひねってあらぬ方向を見つめている。

「あの……、ありがとう。抱きとめてくれて」
「……うん」

 互いに視線は合わせないまま、リルはオーガスタスから離れた。ドレス姿のまま湯に浸かっているのは心地が悪い。

「僕の瞳、おかしいでしょ」

 風呂から出ようとしていると、オーガスタスが口をひらいた。それまでの軽快な物言いではなく、落胆しきったようすだ。
 彼は左右で異なる色の瞳を見られたくなくて、仮面舞踏会にばかり参加するのだろう。

「……おかしいとは思わないわ。びっくりはしたけど」

 リルは風呂の底にひざをつき、両手を岩場にあずけて言葉を続ける。

「それに、おかしいというのなら私のほうが……。私の瞳は血のような赤だもの」

 しばしの間があった。オーガスタスがリルのとなりにやってくる。

「そうだね、真っ赤だ。でも、血液は人間に必要不可欠なもの」

 クイッ、とあごをすくわれた。横を向かされる。オーガスタスは穏やかにほほえんでいる。

「怪我をしたら血を流す。でも、血は分け与えることで他人の命を救うこともできる。決して悪いものではないよ」

 紅い瞳が碧と金のそれを交互にとらえる。どちらからも目が離せない。

「あなたの瞳は綺麗だ」

 目もとに指を這わせられたので、反射的にまぶたを細めた。
 湯に浸かっているせいか、それとも彼の言葉のせいか――。
 頬が異常に熱い。湯あたりしてしまいそうだった。

「ところで、リル。髪の色がところどころ違うよ?」

 リルの長い髪の毛は青と黒のまだら模様になっている。

「あ……。これは、その……染めていたの。もとは真っ黒なのよ」
「ふうん。もとの色のほうが似合ってる。目に優しい色だ」
「……それって褒め言葉なの?」

 オーガスタスはにいっとほほえむばかりで、リルの質問には答えない。

「ま、とりあえずその青い色はすべて落としてしまおうよ。湯に溶けるみたいだね?」
「ええ、そうなの……って、なにするの!」

 彼の腕が背中にまわり込んだ。編み上げのひもをつまんでいるのが感覚でわかる。

「なにって……このままじゃどうしようもないでしょ? ドレスは脱いだほうがいい。僕が脱がせてあげる。湯を吸って重くなってるね」

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