森の魔女と囚われ王子 《 第四章 11

 アーウェルの両肩がぴくんっと震え、肩にかかっていた赤い髪の毛がわずかに揺れた。

「……ええ、もちろん。こなしていますよ、兄上が好き勝手に購入した馬や服の支払いもね!」
「立て替えてもらってるだけじゃないか」

 ふう、とわずらわしそうにため息をついてオーガスタスはリルのベッドに腰をおろし、弟の背を見つめる。兄弟の言い合いは終わらない。

「へえ? では5年前のぶんからすべてお支払いください。計算しておきます」
「まあそう言うなよ。おまえが毒を盛られたときはいち早く応急処置してやっただろ? そのおかげでいまのおまえがあるんだ。僕は命の恩人だ」
「ええ、そうですね。本当は兄上が飲むはずだったワインに盛られた毒でしたけどね!」

 アーウェルはよほど苦労をしてきたようだ。会話からそれがうかがえる。オーガスタスは長い脚を組みなおしてつぶやく。

「……マレット商会かな、僕の居所が漏れたのは。アーウェルを請求先にしたのは軽率だったな」

 リルの黒い髪の毛を撫でるオーガスタスの手つきはいつにも増して優しい。彼のその行為が、こたえた。なにを言われたわけでもないのに、別れを予感させられる。
 いや、彼の弟がここへ来た時点で覚悟するべきだった。アーウェルはリルの心境を知らず残酷に告げる。

「とにかく、一刻も早く城に帰ってきてください。兄上が署名しなければならない書類が部屋中に積み上がってるんです」
「……じゃ、持ってきて」

 オーガスタスの言い分は通りそうにない。アーウェルはほんの少しだけこちらを振り返っているのだが、その形相は悪魔のようだった。
 白金髪の王子は悩ましげに、あきらめたように深いため息をつく。

「はー……。面倒だが、仕方ないか」

 待って、行かないで。口に出したいのはそれだけなのに、出てこない。脈拍に合わせて頭が痛み始めた。

「……っ!」

 ただ呆然としていた。唇を覆われ、深い口付けをほどこされる。
 アーウェルはふたりから視線をはずし、コツコツと革靴の音を響かせて屋敷から出て行った。外で待っているつもりだろう。
 リルはこのとき、アーウェルが屋敷のなかからいなくなったことに気がつかなかった。唇と、それから灼熱の舌の感覚以外にはなにも感じられない。

「ん、ん……っ」

 このままずっとこうして唇を合わせていたい。けれどきっとかなわない。性急に貪られているのが、その証拠だ。
 名残惜しそうに糸を引いて、唇が離れる。

「……それじゃあ、リル。お世話になりました。またね」

 キスの余韻にひたる間もなかった。なにも持たずにこの屋敷へやって来たオーガスタスは、身ひとつで去っていく。
 玄関扉が閉まるときには扉がキイッときしんでいやな音がする。もはや聞きなれていたはずのその不快な音が、合意の誘拐から始まった一連の出来事に終わりを告げた。

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