やや憤然と歩を進めて台所に到着する。
「うわ……」
またしても心の声が漏れてしまった。台所がカップラーメンの山だったからだ。
スウェットに黒縁メガネ、そしてぼさぼさ頭の上司を振り返って優樹菜は言う。
「少なくともカップラーメンよりはこったものを作れますっ」
得意げに『どやぁ』と言ってのけたが、柏村主任はふいっ、とそっぽを向いただけだった。
「それにしても、まさか主任がここの住人だったなんて……」
優樹菜は台所の片付けをしながらつぶやいた。
住人の名は苗字しか聞いていなかった。
(そういえばおばあちゃん、男性だけど信頼できるって言ってたっけ)
まさかそのひとが、現在の派遣先である熊野SWテクノロジー株式会社でシステムエンジニアとして働くクールなイケメン上司、柏村 慎太郎だとは夢にも思わなかった。
見も知らぬ男性とひとつ屋根の下だなんて、と尻込みする優樹菜に、節子はしきりに『彼は大丈夫』と太鼓判を押していた。十年も一緒に住んでいて情が湧いているだけなのでは、と思っていたが、たしかに会社でも彼は素行がよく優秀だ。
たとえいまは、さえないグレーのスウェットを着ていても、秀麗な顔立ちとクールな雰囲気は健在なので服装うんぬんはさほど気にならない。むしろそのギャップがよい。
「――私、けっこうここに遊びに来てたんですよ?」
彼を盗み見ながらやかんで湯を沸かしつつ話す。
柏村は台所と続き間になっている畳の部屋であぐらをかいてテレビを見ている。
優樹菜がここを訪れるのは初めてではない。ひと月に数回は祖母の顔を見に来ていた。
「……休みの日は俺はほとんど部屋に引きこもってるからな」
――ということは、いまは恋人はいないのか。
「そうなんですか」
丸くて広いちゃぶ台の上にしたり顔でお茶を置き、彼からは少し離れて畳の上に正座した。柏村はテレビに目を向けたまま湯呑みを手に取り、ずずっ、とひとくちだけ緑茶をすすった。
(ええっと……。なにか会話を)
会社ではいつも近寄りがたい雰囲気なので、業務に必要な最小限のことしか話さない。
(でもでもっ、ここでアピールしておかなくちゃ……!)
まわりの女性の目もなくふたりきりという絶好の機会だ。
ここに住むのは祖母が退院するまでの一ヶ月間だけ。それまでに、柏村主任をモノにしたい。彼には淡い恋心を抱いていた。
「あ、あのっ――」
「きみは本当にここに住む気なのか?」
「……え」
口をひらいたままピタリと止まる。
仲良くならなければ、と躍起になる優樹菜とは裏腹に柏村はいまだに、同居する気はないらしい。
「独り身の男女がひとつ屋根の下、というのはまずいだろう。それに俺ときみはいま同じ職場で働いているわけだし。妙なうわさでもたったら、きみが困るだろ」
いいえ、むしろうわさになりたい! ――と喉まで出かけて、しかしグッとのみこむ。
前 へ
目 次
次 へ
「うわ……」
またしても心の声が漏れてしまった。台所がカップラーメンの山だったからだ。
スウェットに黒縁メガネ、そしてぼさぼさ頭の上司を振り返って優樹菜は言う。
「少なくともカップラーメンよりはこったものを作れますっ」
得意げに『どやぁ』と言ってのけたが、柏村主任はふいっ、とそっぽを向いただけだった。
「それにしても、まさか主任がここの住人だったなんて……」
優樹菜は台所の片付けをしながらつぶやいた。
住人の名は苗字しか聞いていなかった。
(そういえばおばあちゃん、男性だけど信頼できるって言ってたっけ)
まさかそのひとが、現在の派遣先である熊野SWテクノロジー株式会社でシステムエンジニアとして働くクールなイケメン上司、柏村 慎太郎だとは夢にも思わなかった。
見も知らぬ男性とひとつ屋根の下だなんて、と尻込みする優樹菜に、節子はしきりに『彼は大丈夫』と太鼓判を押していた。十年も一緒に住んでいて情が湧いているだけなのでは、と思っていたが、たしかに会社でも彼は素行がよく優秀だ。
たとえいまは、さえないグレーのスウェットを着ていても、秀麗な顔立ちとクールな雰囲気は健在なので服装うんぬんはさほど気にならない。むしろそのギャップがよい。
「――私、けっこうここに遊びに来てたんですよ?」
彼を盗み見ながらやかんで湯を沸かしつつ話す。
柏村は台所と続き間になっている畳の部屋であぐらをかいてテレビを見ている。
優樹菜がここを訪れるのは初めてではない。ひと月に数回は祖母の顔を見に来ていた。
「……休みの日は俺はほとんど部屋に引きこもってるからな」
――ということは、いまは恋人はいないのか。
「そうなんですか」
丸くて広いちゃぶ台の上にしたり顔でお茶を置き、彼からは少し離れて畳の上に正座した。柏村はテレビに目を向けたまま湯呑みを手に取り、ずずっ、とひとくちだけ緑茶をすすった。
(ええっと……。なにか会話を)
会社ではいつも近寄りがたい雰囲気なので、業務に必要な最小限のことしか話さない。
(でもでもっ、ここでアピールしておかなくちゃ……!)
まわりの女性の目もなくふたりきりという絶好の機会だ。
ここに住むのは祖母が退院するまでの一ヶ月間だけ。それまでに、柏村主任をモノにしたい。彼には淡い恋心を抱いていた。
「あ、あのっ――」
「きみは本当にここに住む気なのか?」
「……え」
口をひらいたままピタリと止まる。
仲良くならなければ、と躍起になる優樹菜とは裏腹に柏村はいまだに、同居する気はないらしい。
「独り身の男女がひとつ屋根の下、というのはまずいだろう。それに俺ときみはいま同じ職場で働いているわけだし。妙なうわさでもたったら、きみが困るだろ」
いいえ、むしろうわさになりたい! ――と喉まで出かけて、しかしグッとのみこむ。