クールでウブな上司の襲い方 《 第一章 04

「だ、大丈夫ですよ……! ほら、出社時間も違いますし、たった一ヶ月だし」

 優樹菜は朝10時から夕方は4時までが業務時間だが、正社員の彼は9時5時だし、残業もある。
 柏村は緑茶をすすったあと「ふう」と静かにため息をついた。

「ああ、たった一ヶ月だ。きみの手をわずらわせなくてもなんとかなる。俺はべつにひとりでも困らない」
「え……っと」

 しまった、話が悪い方向に進んでいる。優樹菜は「えーと、えーと」とつぶやきながらなんとか反論する。

「で、でも、でもっ……。ここ、とんでもなく広いじゃないですか。主任は夜も遅いし、掃除とか行き届かないんじゃないですか? おばあちゃん、この下宿屋にすごく思い入れがあるから……退院して戻ってきたときにここがすさんでたら、それはもうきっと悲しいでしょうね。ショックで寝込んじゃうかも! ホコリとかって、一ヶ月でもけっこうたまっちゃいますよ。台所なんてとくに、流しまわりは一ヶ月も経ったらそれはもうひどいことになりますし……」

 柏村の、湯呑みを持つ手がピクリとわずかに動いた。

(よし、いけるっ。もうひと押しだ)

 優樹菜がたたみかける。

「おばあちゃんがすっごくきれい好きなのはご存知ですよね? 私、おばあちゃんが掃除するときにどういうふうにするのか熟知してます。おばあちゃん子で、昔からいろいろ教わってました。料理もそうです。だから……お願いします。一ヶ月間だけ……私にこの家を任せていただけませんか」

 ひざの前に三つ指をついて申し入れる。
 それまでずっとテレビに向いていた柏村の瞳が横へ動き、優樹菜をとらえる。
 彼の二重まぶたは黒縁メガネの向こう側にあってもクッキリとしているのがわかった。

「……わかった」

 コトンと音がして緑色の湯呑みが茶たくに戻った。

「だが互いによけいな干渉はしないようにしよう。きみにとってもそのほうがいいだろう?」

 いいえ、むしろ干渉して欲しい! ――とまた口から滑り出てしまいそうになったところをググッとこらえて、ほほえむ。

「はい。よろしくお願いします、主任」

***

 さあ、お色気大作戦のはじまりだ。

 着替えを済ませた優樹菜は白いフリルのエプロンを身につけて「ふんふん」と鼻歌まじりに昼食を作っていた。
 柏村主任は自室にいるようなので、ある意味で気兼ねなくご飯作りに集中できている。

(夕飯の食材は買い出しに行かなくちゃね)

 昼食は冷蔵庫のなかにあったもの――おそらく祖母が買っていたものだが、残りものの食材を一掃したので、いま冷蔵庫のなかは空っぽに近い状態だ。

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