節子の孫――磯貝 優樹菜が岩代荘にやって来て一週間ほどが経ったある日、会社でのことだった。
「柏村はさ、最近よく磯貝さんと話してるよね」
喫煙スペースで一服していると、同期入社の同僚からそんなふうに話を切り出された。
「そうか……?」
もわっ、と口から煙を吐き出しながら慎太郎は答えた。
(そんなつもりはないが……。まあ確かに、以前よりも用事を頼みやすくなった)
彼女と同居を始めて、接する機会が増えたからというだけでなく、彼女の思いのほか真面目な仕事ぶりは信頼に値するからだ。
「ねえ、もしかして磯貝さんのこと狙ってる?」
ベンチに並んで座っていた同僚がタバコを片手に前を向いたまま言った。
慎太郎は「まさか」と即答する。
「じゃあ俺、飲みにでも誘ってみようっと。磯貝さん、くるくる表情が変わって可愛いよね」
茶髪の同僚はいやしい笑みを浮かべて話し続ける。
「そしてなにより、おっぱいが大きい」
「……彼女、4時には帰るじゃないか」
派遣社員の優樹菜は4時ぴったりに帰ってしまうから、飲みに誘うのは無理だ、と暗に告げた。
「俺、今日は朝めちゃくちゃ早く出社したんだよね。だから4時には上がれる」
「………」
この会社はフレックスタイム制で、今日はノー残業デー。よほど急な仕事でも入らないかぎり、夕方の4時に勤務を終えることはさして難しくない。
(初めから磯貝さんを飲みに誘う気で今日は出社してきたんだな……)
慎太郎は横目で同僚を見やった。どうしてか腹の底がムカムカする。
「――先に戻る」
つっけんどんに言って、慎太郎は喫煙スペースをあとにした。
慎太郎のデスクからは壁掛け時計が見えた。
今日はやけに時間が気になってしまう。もうすぐ4時――優樹菜の業務終了時刻だ。
(……べつに、俺には関係ない)
そうは思えど、やはり同僚の動向が目につく。
茶髪の同僚は、帰り支度をしている優樹菜に話しかけている。
彼女のデスクはここから離れているので、優樹菜が彼の誘いに対してどういう受け答えをしているのかサッパリわからない。ただ、ふたりともニコニコと楽しそうに会話している。
(関係ない、関係ない……)
慎太郎は自身の眉間にシワが寄っていることに、気がついていなかった。
その日、岩代荘には午後5時すぎに帰宅した。
「――あ、おかえりなさい」
玄関の鍵は開いていたし、彼女の靴もいつも通り置いてあった。
だから、優樹菜が同僚の誘いを断ったのはわかった。しかしそれはあくまで『今日』の話だ。もしかしたら、べつの日に同僚と出掛ける予定を立てているかもしれない――。
「きみは、その……今日」
ちゃぶ台に所狭しと並べられた夕飯にひととおり箸をつけたあとに慎太郎は話を切り出した。
「はい?」
大きな瞳が見つめ返してくる。パチリと視線が絡む。とたんに慎太郎はなにも言えなくなってしまった。
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「柏村はさ、最近よく磯貝さんと話してるよね」
喫煙スペースで一服していると、同期入社の同僚からそんなふうに話を切り出された。
「そうか……?」
もわっ、と口から煙を吐き出しながら慎太郎は答えた。
(そんなつもりはないが……。まあ確かに、以前よりも用事を頼みやすくなった)
彼女と同居を始めて、接する機会が増えたからというだけでなく、彼女の思いのほか真面目な仕事ぶりは信頼に値するからだ。
「ねえ、もしかして磯貝さんのこと狙ってる?」
ベンチに並んで座っていた同僚がタバコを片手に前を向いたまま言った。
慎太郎は「まさか」と即答する。
「じゃあ俺、飲みにでも誘ってみようっと。磯貝さん、くるくる表情が変わって可愛いよね」
茶髪の同僚はいやしい笑みを浮かべて話し続ける。
「そしてなにより、おっぱいが大きい」
「……彼女、4時には帰るじゃないか」
派遣社員の優樹菜は4時ぴったりに帰ってしまうから、飲みに誘うのは無理だ、と暗に告げた。
「俺、今日は朝めちゃくちゃ早く出社したんだよね。だから4時には上がれる」
「………」
この会社はフレックスタイム制で、今日はノー残業デー。よほど急な仕事でも入らないかぎり、夕方の4時に勤務を終えることはさして難しくない。
(初めから磯貝さんを飲みに誘う気で今日は出社してきたんだな……)
慎太郎は横目で同僚を見やった。どうしてか腹の底がムカムカする。
「――先に戻る」
つっけんどんに言って、慎太郎は喫煙スペースをあとにした。
慎太郎のデスクからは壁掛け時計が見えた。
今日はやけに時間が気になってしまう。もうすぐ4時――優樹菜の業務終了時刻だ。
(……べつに、俺には関係ない)
そうは思えど、やはり同僚の動向が目につく。
茶髪の同僚は、帰り支度をしている優樹菜に話しかけている。
彼女のデスクはここから離れているので、優樹菜が彼の誘いに対してどういう受け答えをしているのかサッパリわからない。ただ、ふたりともニコニコと楽しそうに会話している。
(関係ない、関係ない……)
慎太郎は自身の眉間にシワが寄っていることに、気がついていなかった。
その日、岩代荘には午後5時すぎに帰宅した。
「――あ、おかえりなさい」
玄関の鍵は開いていたし、彼女の靴もいつも通り置いてあった。
だから、優樹菜が同僚の誘いを断ったのはわかった。しかしそれはあくまで『今日』の話だ。もしかしたら、べつの日に同僚と出掛ける予定を立てているかもしれない――。
「きみは、その……今日」
ちゃぶ台に所狭しと並べられた夕飯にひととおり箸をつけたあとに慎太郎は話を切り出した。
「はい?」
大きな瞳が見つめ返してくる。パチリと視線が絡む。とたんに慎太郎はなにも言えなくなってしまった。