クールでウブな上司の襲い方 《 第三章 01

 ろくに拭かれていない髪の毛からはポタポタと水滴が落ち、白いワイシャツの肩を濡らす。
 柏村 慎太郎はそのことを気にも留めず――そんなことに気持ちを割く余裕もなく、逃げ込むように自室に入った。
 無数のぬいぐるみに出迎えられると、どんなときでも安心する。しかしいまは、いっこうに落ち着かない。気は昂ったままだが、酔いはすっかりさめていた。

(俺は、なんてことを――……)

 この下宿屋の家主である節子は自分を信用して優樹菜を遣わせてくれたのだ。それなのに、酒の勢いを借りて風呂に連れ込み、ふしだらなことをしてしまった。彼女の気持ちを確かめもせずに。
 節子の大切な孫に対してなんてことをしてしまったのだろう――と、欲望を外へ吐き出したあとでわれにかえった。腹の底に氷水を落としたような心地だった。
 窓のカーテンは開けっ放しだった。下弦の月明かりしかない薄暗い部屋のベッドに慎太郎は倒れ込み、ベッド上のぬいぐるみをぼんやりと眺め、さらなる自責の念に駆られる。
 せめて彼女の同意があれば――。

(……嫌がられているわけでは、なかった)

 いや、そういう問題ではない、とすぐに自分自身が否定する。節子に顔向けできないことをしでかしたということには変わりない。

 慎太郎が岩代荘にやって来たのは彼が18のときだった。
 母親の温もりを初めから知らず、あとからできた母親にもなじめずにいた慎太郎にとって節子の存在は救いだった。
 彼の部屋に、日に日に増えていくぬいぐるみを節子が言及することはなく、慎太郎自身がこの状態をどう思うかと訊いても「趣味は人それぞれだから」と軽く受け流すだけだった。
 それでいて、就職先に悩んでいるときには仕事の適正についてともに真剣に悩み、第一希望の会社に内定すると自分のことのように喜んで、赤飯まで炊いてくれた。
 慎太郎にとって節子こそが母だった。そしてここは、あたたかな陽が射し込む縁側のような、心地のよい場所。ぬいぐるみの収集癖も、これでも落ち着いたほうだ。

(失望、されたくない……)

 節子が骨折し入院することになって、本当は毎日でも見舞いに行きたかったのだが、多忙な自分を気遣ってか節子は「たいしたことはないのよ。見舞いなんて必要ないからね」と釘を刺してきた。
 節子が岩代荘からいなくなって、やって来たのが優樹菜だ。
 彼女は思いのほか家庭的だ。しかし、節子のように母を重ねることは当然、ない。自分よりも年下だからというのもあるが、それよりもなによりも――ともに過ごしていると、劣情をかき立てられる。彼女はとても妖艶で、しかしどこかまだ少女のような可憐さを持ち合わせている。

前 へ    目 次    次 へ