クールでウブな上司の襲い方 《 第三章 13

 節子はあいかわらず口もとに手を当てたままだった。なんとも言えない沈黙に包まれる。

(おばあちゃん、怒ってるのかな……?)

 優樹菜にしても慎太郎にしても、祖母はふたりを信頼して下宿屋に一緒に住まわせたのだと思う。それなのに、その信頼を裏切るようなことをしてしまった。

(どうしよう……)

 慎太郎と身も心も通じ合った喜びで、まったく気にしていなかった――というか気がついていなかったのだが、彼のほうはきっとこのことを気に病んでいて、それでようすがおかしかったのだろう。
 優樹菜は目を伏せてうつむいていた。すると、

「ふふふ……」

 こらえきれないというような、くぐもった笑い声が聞こえてきた。
 パッと顔を上げて、声がしたほうを見る。節子はニンマリと笑っていた。

「ふふっ、早くひ孫の顔が見たいわぁ」
「え……。な、なに言ってるの、おばあちゃん」

 目を白黒させて祖母を見る。節子はおだやかにほほえんでいる。

「じつはね、ふたりがそういう関係になったらいいなと思っていたのよ。大成功だわ」

 そう言ってかわいらしくウィンクをする節子は、とても80歳を過ぎているようには見えない。髪の毛は黒々としていて薄くもなく、顔のしわだって少ないほうだと思う。
 しかしふと、彼女の表情に影がさした。

「私はもう歳も歳だから……。この先、いつまでも慎太郎の世話をできるわけじゃないからね。優樹菜、彼を頼んだよ」
「もっ、もちろん! ……でも、おばあちゃんもまだまだ頑張ってよ。ひ孫の世話があるんだからねっ」

 優樹菜は身を乗り出してそう言った。

(寂しいこと、言わないでほしい……)

 あとは任せた、だなんて――そんなふうに言われるとなんだか無性に物悲しくなってしまう。
 そう思ったのは、優樹菜だけではなかった。
 慎太郎は優樹菜と節子のやりとりを黙って聞いていた。
 チラリと彼のほうを見やる。優樹菜はまたしてもギョッとすることになる。

「し、慎太郎さんっ……?」

 彼の瞳からは大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちていた。頬とあごを伝ってすべり落ちた涙がVネックのニットシャツに染みをつくる。淡いグレーのシャツだから、涙の染みはよけいに目立った。

「あら、ちょっと早すぎるんじゃない? 私はまだすぐには死なないわよ?」

 冗談めかして節子が言った。慎太郎はすぐにそれを否定する。

「いや、そういうことじゃなくて……その……」

 慎太郎は「すみません」とつぶやきながら目もとを指でゴシゴシとこすっている。

「「あ、そんなにこすったら――」」

 ふたりの声が重なった。優樹菜と節子は互いに「あっ」と言いながら目を丸くして顔を見合わせ、そのあとは「ふふ」と笑い合った。

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