御曹司さまの独占愛 《 02

 幸紐町《ゆきひもちょう》の東條といえばこの町の誰もが知る、古くからある家――いわゆる名家である。
 幸紐の大地主だった東條家は石炭の採掘によっていっそう財を成し、現在は病院や生鮮品店、書店などを幅広く経営する財閥だ。
 その八代目当主である東條 和臣は今年で二十八歳になる。彼は絵に描いたような美青年で、縁談がごまんと転がり込んでくるものの、和臣はだれとも見合いをしない。
 そんな彼が住まう邸は堀に囲まれた平屋建ての広大な家屋だ。外観は純和風の日本家屋だが応接間や食堂にはアンティークのシャンデリアが飾られている。
 和洋折衷の邸内とは異なり庭に至っては外観と同じく純和風の東條邸は風光明媚な庭園を有している。背丈の何倍もある灯篭や茅葺の東屋はじつに日本らしく奥ゆかしい。
 天涯孤独の前園 若菜《まえぞの わかな》はこの東條邸に住み込みで働いている。彼女の主な仕事は掃除と洗濯、それから主人である和臣の身のまわりの世話をすることだ。食事は板前が作るため若菜の範疇ではない。
 若菜はいつも夜明けよりも前に起きる。代々東條家に仕えてきた女中の家系の子孫である若菜は昔から変わらぬデザインのお仕着せに素早く袖を通して邸の掃除を始める。邸内はとても広いので、そうして早起きしなければ掃除が終わらないのだ。
 時計が七時をまたぐ前に若菜は奥座敷へ向かう。そこは主人の寝室だ。

「――和臣さま。ご起床のお時間です」

 座敷の中央に眠る眉目秀麗なご主人さまは決して寝起きがよくない。一度、声を掛けたくらいでは目覚めてくれない。若菜は身をかがめ、彼の耳もとで先ほどと同じことを言う。するといつも、和臣はくすぐったそうに身を震わせて目を開ける。

「ん……おはよう、若菜」

 ほがらかな笑みは輝かしく、後光が射しているのではないかと毎日錯覚してしまう。

「僕はきみの声でなければ目覚めることができない」

 彼が身を起こす。着物の衿もとが少し乱れているのはいつものことだが、いつ見てもドキリとしてしまう。
 和臣は目を伏せる若菜の頬に手を伸ばす。

「きみは今日も麗しい。愛しているよ」
「ま、またそのようなご冗談を」

 若菜はあいまいに笑い、「今日はどのスーツをお召しになりますか?」と尋ねながら彼の手を避けて立ち上がる。和臣が「冗談ではないんだけど」とつぶやく。しかし若菜の耳には届かない。
 座敷の隅に置かれた洋箪笥の観音扉を開き、中に掛かっているブランドもののスーツを漁る。和臣は「きみに任せるよ」と言って若菜のうしろに立った。

(ち、近い……!)

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