淫らに躍る筆先 《 02

 まずは絵画教室を見学してみることになった和葉は金曜日の夜が待ち遠しくてたまらなかった。この年になって、翌日が楽しみすぎて眠れないなどという体験をするとは思わなかった。和葉は自室のベッドで掛布団を口もとまでかぶせて何度も寝返りを打った。


 金曜日の夜はあっという間にやってきた。
 期待と不安に胸をふくらませながら絵画教室へと足を運ぶ。教室の受講者は若い女性ばかりだった。

(みんな私と似たような境遇なのかな?)

 そんなことを考えながら教室の端のほうに座って講師が来るのを待つ。
 間もなくして向かいの扉が開いた。絵画教室の講師というと、中年の男性だろうかと勝手な想像をしていた和葉は現れたそのひとが自分とそう変わらない年齢だったことにまず驚き、それからこの絵画教室の受講者たちが自分と同じ境遇でここにいるのではないのだとわかった。

(うわぁ……)

 女性たちがざわつくのもうなずける。講師はテレビの向こうでしか見たことのないような面立ちの男性だった。
 すらりとした長身の彼はほどよく筋肉質だ。薄い水色のワイシャツに紺色のネクタイという組み合わせは至って普通だが、彼が身につけているというだけでどうしてか艶っぽい。

「遅くなってしまって申し訳ございません」

 彼が眉尻を下げてほほえむと、それだけで黄色い声が上がった。

(なるほど、みんなこの講師が目当てなのね)

 心の中だけでふむふむと納得して、和葉は講師をじいっと見つめる。

(どこかで見たことあるような気がするけど……)

 そうだ、芸能人のだれかに似ているのかもしれない。
 ふと講師の男性と目が合った。

(あ、しまった……私ったら、無遠慮に見つめすぎ)

 あわてて目を逸らすものの、今度は視線を感じる側になった。

「……?」

 少しだけ顔を上げると、講師の男性はなにを言うでもなく驚いたような顔をしてこちらを凝視していた。和葉は意図せず怪訝な表情になる。

(どうしたんだろう?)

 受講希望の見学者がそんなにも珍しいのだろうか。和葉は唇を引き結んで肩をすくめた。


「――少しよろしいですか」

 絵画教室の見学を終えて帰り支度をしているときだった。講師の男性に呼び止められた和葉はビクッと肩を揺らした。

(受講するかどうかの話かな)

 それにしてもまわりの女性たちの視線が痛い。どの女性も「抜けがけしちゃだめよ!」と言わんばかりの強烈な視線を送ってくる。
 和葉はまわりをうかがいながら上ずった声で「はい」と返事をした。

「ではこちらへ」

 講師にうながされるまま奥の部屋へと向かう。そのあいだもずっと、女性たちの視線が体に焼け付くようだった。
 教室の奥は画材倉庫だった。新品の筆やキャンパス、絵の具が整然と置いてある。

「……和葉ちゃん、だよね?」


前 へ    目 次    次 へ