(どこから入ればいいんだろう?)
今日はアトリエもその上の階にあるという藤枝商事も休みのようで、玄関は施錠されているようだった。
彼に電話を掛けようとハンドバッグの中を漁っていると、
「和葉ちゃん、こっち」
オフィスビルの角から顔を出した龍生に手招きされる。彼は「こっちこっち」というようにただ手招きをしているだけなのに、なぜこんなにもサマになるのだろう。
「おはようございます」と言いながら龍生のもとへ駆け寄る。彼に案内されたのはビルの裏口だった。どうやら龍生は休日出勤をしているらしい。
関係者以外立入禁止、と書かれた鉄扉からビルの中へ入ると、すぐに階段をのぼることになった。
龍生は『社長室』という札が掲げられた部屋の扉を開けて「どうぞ」とうながしてくる。
(もしかして、とは思ってたけど……)
彼はやはり藤枝商事の社長のようだ。そうでなければ休日とはいえこの部屋に通されることはないはずだ。
「休日に急に呼び出して悪かったね」
「いえ、こちらこそ……お仕事中、ですよね」
執務机の上は書類でいっぱいだ。彼が休日出勤をしていたのだとうかがえる。龍生は和葉の視線の先を追い、彼女が机の上を見て気を遣っているのを悟る。
「机仕事は休日のほうがはかどるからね。だから別段、急ぎというわけじゃないんだ。ええと……ソファに座って少し待ってて、コーヒーを淹れてくる」
「あ、それなら私が」
「お客様に淹れさせるわけにはいかないよ。俺もちょうど休憩するところだったから、きみのぶんはついでってことで」
そう言うなり龍生はウィンクをして部屋を出て行ってしまった。
(ウ、ウィンク……)
そんなことしても違和感のないひとが現実にいるとは驚きだ。漫画や小説の中だけだと思っていた。
(……この展開だって、現実のものとは思えないけど)
三人掛けのソファの端に腰を下ろし、そわそわとあたりを見まわす。ほかに休日出勤している社員はいないらしく、静かなものだ。
(このあたりは車通りも少ないしね)
この部屋で響いている音といえば空気清浄機くらいだ。その音だって、耳をすませばかすかに聞こえるという程度。休日だから、電話が鳴り響くこともない。
「――おまたせ」
ふたつのマグカップを器用に片手で持って龍生が戻ってきた。和葉は「おかえりなさい」と言いながら立ち上がり、コーヒーが入ったカップを受け取る。
「ごめん、砂糖とかミルクが置いてある場所がわからなくて……ブラックなんだけど、平気かな」
「はい、大丈夫です」
和葉はマグカップを持ったままふたたびソファの端っこに座った。龍生はというと、向かいではなく和葉のとなりに腰を下ろした。広いソファだというのに端のほうに並んで座るという無駄に省エネな座り方だ。
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今日はアトリエもその上の階にあるという藤枝商事も休みのようで、玄関は施錠されているようだった。
彼に電話を掛けようとハンドバッグの中を漁っていると、
「和葉ちゃん、こっち」
オフィスビルの角から顔を出した龍生に手招きされる。彼は「こっちこっち」というようにただ手招きをしているだけなのに、なぜこんなにもサマになるのだろう。
「おはようございます」と言いながら龍生のもとへ駆け寄る。彼に案内されたのはビルの裏口だった。どうやら龍生は休日出勤をしているらしい。
関係者以外立入禁止、と書かれた鉄扉からビルの中へ入ると、すぐに階段をのぼることになった。
龍生は『社長室』という札が掲げられた部屋の扉を開けて「どうぞ」とうながしてくる。
(もしかして、とは思ってたけど……)
彼はやはり藤枝商事の社長のようだ。そうでなければ休日とはいえこの部屋に通されることはないはずだ。
「休日に急に呼び出して悪かったね」
「いえ、こちらこそ……お仕事中、ですよね」
執務机の上は書類でいっぱいだ。彼が休日出勤をしていたのだとうかがえる。龍生は和葉の視線の先を追い、彼女が机の上を見て気を遣っているのを悟る。
「机仕事は休日のほうがはかどるからね。だから別段、急ぎというわけじゃないんだ。ええと……ソファに座って少し待ってて、コーヒーを淹れてくる」
「あ、それなら私が」
「お客様に淹れさせるわけにはいかないよ。俺もちょうど休憩するところだったから、きみのぶんはついでってことで」
そう言うなり龍生はウィンクをして部屋を出て行ってしまった。
(ウ、ウィンク……)
そんなことしても違和感のないひとが現実にいるとは驚きだ。漫画や小説の中だけだと思っていた。
(……この展開だって、現実のものとは思えないけど)
三人掛けのソファの端に腰を下ろし、そわそわとあたりを見まわす。ほかに休日出勤している社員はいないらしく、静かなものだ。
(このあたりは車通りも少ないしね)
この部屋で響いている音といえば空気清浄機くらいだ。その音だって、耳をすませばかすかに聞こえるという程度。休日だから、電話が鳴り響くこともない。
「――おまたせ」
ふたつのマグカップを器用に片手で持って龍生が戻ってきた。和葉は「おかえりなさい」と言いながら立ち上がり、コーヒーが入ったカップを受け取る。
「ごめん、砂糖とかミルクが置いてある場所がわからなくて……ブラックなんだけど、平気かな」
「はい、大丈夫です」
和葉はマグカップを持ったままふたたびソファの端っこに座った。龍生はというと、向かいではなく和葉のとなりに腰を下ろした。広いソファだというのに端のほうに並んで座るという無駄に省エネな座り方だ。