淫らに躍る筆先 《 13

 龍生と付き合い始めて数ヶ月が経ったある週末。和葉は絵画教室にいた。絵筆を片手にキャンパスとにらめっこをしている。
 いま描こうとしているのは熊の置物だ。鮭を咥えた熊の彫像は凹凸があって、その毛並みや色を筆で表現するのはじつに難しい。

「まずは思うまま……見たままに描いてみて」

 頭上から声を掛けられ、トクンと胸が鳴る。少しだけ顔を上げて彼を見やると、ふだんよりも少しだけよそいきの顔をしてほほえんでいた。
 和葉は「はい」と返事をしてパレットから色を取り、キャンパスにのせていく。龍生がほかの受講者のところへ行っても、なかなか胸の高鳴りはおさまらなかった。
 彼とは休日のたびにデートをして、いろいろな話をして――ついこのあいだ、深くつながり合った。彼の声を聞いて、ほんの少し顔を見ただけでその一夜を思い出してしまい、どうしようもなくなってしまったのだ。

(ああ、相変わらず情けないな、私)

 和葉は邪念を振り払うようにふるふると首を横に振って、キャンパス上の絵筆を滑らせた。


 絵画教室のあとは倉庫で後片付けを手伝うというのが習慣になりつつあった。ほかの受講者はみな帰ってしまったあとだ。

「あれ、それ……新しい筆ですか?」
「うん、そう」

 龍生は床に置いたダンボールの中から筆を取り出し、棚に並べていった。和葉もそれに倣って絵筆を棚に並べる。
 ダンボールの中に入っていたさまざまな種類の絵筆。その最後の一本を、龍生は棚に並べることなく手に持ったままにした。

「一本、新しいものに替えておこうと思って。和葉ちゃんのは大丈夫?」
「はい、私のはまだ大丈夫だと思います」

 龍生は「そっか」と返して水場へ向かう。

「新しい筆のおろしかた、わかる? よかったら見ておいて」
「はい」

 龍生のあとに続いて石造りの洗い場の前に立つ。龍生は真っ白な陶器のボウルに湯を張り、そこに絵筆を浸して指で揉みほぐしていった。

「見ておいて、なんて言っておきながら……これだけなんだけどね」

 申し訳なさそうに笑いながら龍生は指先を小刻みに動かす。
 腕まくりされた薄い青色のワイシャツ。筋張った腕。巧みに動く指先――。

「……和葉ちゃん?」
「――は、はひっ」

 妙な返事をしてしまった口をあわてて押さえる。

(私ったら、つい……!)

 性的なことを妄想してしまい、いったいなにを考えているのだろうと自分自身を責める。

「はは、どうしたの。かわいいなぁ」

 龍生はくすくすと笑って絵筆を湯から上げる。

「この筆、さっそく使ってみようか。きみの体で試し描き――なんて、ね」


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