甘い香りと蜜の味 《 06

 ニヤニヤと口もとをゆがめながら、拓真は小首を傾げてあごに手を当てる。

「じゃあ、『教えてください、拓真様』って言ってくれたら、いいよ」
「ええっ?」
「その一言でコツがつかめるんだから、安いもんだろ」
「う――」

 癪だが、いまよりも上手になれるのなら、そのくらい安いものだ。

「……教えてください、拓真様」
「ん、よろしい」

 満面の笑みになって、拓真がとなりに立つ。コツンと肩がぶつかったが、ふたりとも気にしない。

「美樹はさ、ここのツメが甘いんだよ。もっとこう――しっかり折り込めば、ずいぶん綺麗に仕上がる」
「ああ、なるほど!」

 美樹が左の手のひらに右のこぶしをポンッと当てたときだった。

「――こら、拓真。頑張ってる美樹ちゃんの邪魔しちゃだめだろ」

 拓真の体が急にうしろへ傾いた。拓人が弟の肩をつかんでうしろへ引いたのだ。

「おわっ! なに、邪魔してないよ。むしろ教えてあげてたんだって」

 つかまれた肩を、少しばかり痛そうに反対の手でさすりながら拓真は口を尖らせる。

「そう? それは失礼」

 拓人はいつものように笑っているが、何となく不機嫌のような気がした。

(なにか、怒らせるようなこと――……うぅ、心当たりがありすぎてどれだかわからない)

 仕事の手際は決してよくない。こんな調子で、無事に紗耶香からすべての業務を引き継ぐことができるだろうかと不安だ。

(でも、頑張る。もう、途中で投げ出さない。家に帰ったら、すぐに今日の業務内容をまとめて見返そう。早く覚えたい)

 美樹はひとり大きくうなずいて、ふたりに「お疲れ様でした」と挨拶したあと、タイムカードを押して店の裏口から外へ出た。


 てんてこまいの日々を過ごしていると、一ヶ月弱というのはあっという間に経つものだ。

「かんぱーい!」

 美樹、拓人、拓真、それから酒宴の主役である紗耶香はそれぞれ手にグラスを持ち、その端を四人でコツンと突き合わせた。
 今夜は紗耶香の送別会である。彼女は本日をもってショコラ・デ・マノークを退職する。
 この居酒屋は拓人の知り合いの店だ。彼は顔が広く、このあたりの店のオーナーとはほとんど知り合いなのだそうだ。青年会議所の会頭をしているらしいから、そういう所以だろう。

「いいところですね」

 となりに座る紗耶香がしみじみとしたようすで言った。美樹はこくこくとうなずいて同意を示す。
 天井からいくつも吊り下がる七色のランプは幻想的だし、テーブルクロスとチェアカバー
がエキゾチックな雰囲気をかもしだしている。個室なので、気兼ねなく気分よくお酒が飲める。

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