甘い香りと蜜の味 《 12

 どくどくどく。自分の心臓の音で、彼の声が聞こえなくなってしまうのではないかと心配になった。
 昨夜、お風呂のなかで何度も思い浮かんでは自分自身で打ち消してきた言葉を、拓人が紡ぐ。

「ずっと好きだった」

 引っ込んでいた涙が、ふたたびあふれて?を伝う。すると拓人は少しあわてたようすで美樹の涙を拭った。

「ごめん、驚いたよね。いきなりこんなこと言って……困らせて、ごめん」
「こ、困ってなんか、ないです」

 涙で言葉に詰まりそうになったけれど、やっとの思いで「嬉しい」と口にすると、拓人は安心したような笑みをたたえた。

「美樹ちゃんはいろいろと不器用だけど――いや、だからか。いつも一所懸命で、それがたまらなくかわいくって」

 目もとに添っていた彼の指が肌を撫で、やがで頬を覆う。

「俺が一人前になって店を継いで、それからきみが大学を卒業したら、言おうと思ってたんだ。……なかなか、言うタイミングがつかめなかったけど」

 両頬を彼の手に包まれた。熱く、大きな手のひら。時が止まってしまったように、見つめ合う。

「俺の恋人になってください」

 その一言で、時間が動き出す。心の奥底から、体の端々から歓びが湧き起こり、またしても美樹の涙腺を刺激する。
 惚けた顔をして大粒の涙を流す美樹を見て、拓人はまた戸惑った。
 ――早く返事をしなくちゃ。泣いていては誤解される。

「わ、私でよければ……喜んで」

 涙声は弱々しく震えていた。驚きと歓びで、嬉し涙が止まらない。夢のようだ。
 再就職先が決まって、これ以上は望むまいと思っていたのに、秘めた想いまで叶ってしまった。いまこの瞬間が、人生最大の幸福ではないかと思う。
 拓人が長く息をつく。心底安心したというような、そんなため息。
 頬に添っていた彼の手がするすると肌を撫で下り、背にまわる。
 静かに、しかし力強く抱き寄せられた。彼の胸に顔をうずめる。

「あ、あの……。拓人さんのシャツが、私の涙で汚れちゃいます」
「じゃあ、泣き止んで?」

 手放す気はないらしい。

「ん……」

 美樹はあいまいに返事をして、何とか涙を我慢しようとする。

(拓人さん……あったかい)

 彼の温もりを感じながら、どれだけそうして抱き合っていただろう。あたりはすっかり暗くなってしまった。

「……今日はもう帰ったほうがいいね」

 そっと体を離された。急に体が寒くなったような心地になる。

「も……もっと、一緒にいたいです」

 ――だって、せっかく想いが通じ合ったのに。

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