甘い香りと蜜の味 《 26

 拓人は二人分のキャリーケースを部屋の隅に置いてから言う。

「疲れたでしょ。シャワー、浴びておいで」
「た、拓人さんお先にどうぞっ」
「……そう?」

 未夢はこくこくとうなずくしかできない。
 すると拓人は「じゃあお言葉に甘えて」と言ってキャリーケースのなかから着替えを取り出して浴室のほうへ歩いていった。その途中、くるりと振り返って、

「あ、一緒に入る?」

 と言うものだから、今度はぶんぶんと首を横に振るしかない。

「……そっか」

 残念そうにつぶやいて、拓人は浴室のなかへ入っていった。

(あぁ……緊張する)

 同じ部屋に泊まると思うだけでも緊張するのに、一緒にシャワーを浴びるだなんて――とんでもない。
 美樹は一人掛けのソファに腰を下ろし、部屋のなかを見まわした。
 ベッドはダブルサイズのものが一つしかない。エクストラベッドや、横になれそうな広いソファはいっさいない。

(同じベッドで眠るんだ……)

 美樹は現実逃避するようにぐるりとベッドから顔を逸らして夜景を見た。
 間もなくして拓人が浴室から出てきた。白いワイシャツと、ラフなボトムスを履いている。

「わわわ、私もシャワー浴びてきますねっ」

 美樹はすっくと立ちあがり、早足で浴室へ向かう。まだ髪の毛が濡れている拓人はそこにたたずんでいるだけで色気むんむんだ。
 緊張で火照った体を冷ますように、少しぬるめの湯温でシャワーを浴びた。
 バスタオルで体を拭いたあとで、美樹は「あっ」と短く叫ぶ。

(着替えを準備するの、忘れてた……!)

 パジャマも下着もキャリーケースのなかだ。一度浴室から出なければ、服を着ることができない。
 ほかに着ることができそうなものは――と脱衣所のなかをあちこち調べたが、タオル類以外にはなにもなかった。
 美樹はしぶしぶ、バスタオルをぐるぐると体に巻きつける。
 胸と脚の付け根がやっと覆われるていどの――心許ない恰好だ。

(拓人さん、もしかしたらなにか飲み物を買いに行ってるかもしれないし……パパッと出て、パパッと服を着よう)

 美樹は深呼吸をしてから脱衣所を出た。拓人はベッド端に腰掛けていた。キャリーケースのすぐそばだ。
 彼は美樹を見るなりその大きな目を丸くした。

「き、着替えを……脱衣所に持って行ってなくてですね。こんな恰好で、すみません……っ」

 ――ああ、恥ずかしくてくらくらする。
 おぼつかない足取りで美樹はキャリーケースを目指す。
 彼がなにも言わないのも、堪《こた》える。うっかりしてるな、とでも言われればまだよいものを、拓人は無言で美樹を見つめるばかりだ。

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