あいまいな恋の自覚 ~鬼畜な御曹司と淫らな遊び~ 《

給湯室から紅茶を持って戻ってくると、蜷川の姿が見当たらなかった。塩野谷にお茶を出しながら尋ねる。

「あれ、蜷川さんはどこへ?」

「社長と一緒に食事へ行ったよー」

「あ……そうなんですか」

ということは社長も出かけてしまったのか。愛莉はあまってしまったふたつの紅茶を見つめながら自分のデスクに戻った。

(社長と蜷川さんって、どういう関係なんだろ……)

蜷川は碓氷のことを諒太くんと呼んでいる。碓氷は蜷川に対して寛大で、彼女があからさまに仕事をしていなくても何も言わないのだ。塩野谷や愛莉には用事を言いつけるのに。

「よーし、それじゃ俺たちも食事に行こっかぁ。愛莉ちゃんの歓迎会と銘打って」

「わあっ!? ……ちょ、びっくりさせないで下さいよ、専務」

いつの間にか姿が見えなくなっていた専務の氷室がとつぜん現れて、愛莉の机の上で冷めかけていた紅茶を手に取ったのだ。神出鬼没というのがじつにふさわしい。

「専務ぅ? ナニソレ、他人行儀だなぁ。要って呼んでよ。俺も愛莉ちゃんって呼んじゃってるし」

氷室は紅茶をすすってほほえんだ。この会社の取締役たちは役職名で呼ばれるのが嫌なようだ。
「わかりました」と返すと、要は何かたくらんでいるような顏をしてニンマリと口角を上げた。

「じゃ、さっそく呼んでみて」

「……要、さん」

「さんづけはヤダ。要くんがいいな。愛莉ちゃん、いま27でしょ? 俺は今年で29だからひとつしか違わないよ。はい、ごちそうさま。じゃ行こうか。塩野谷くんも準備して」

飲み終わった紅茶をトレイに置いて、要はせかすようにパンパンと手を叩きはじめた。上司に『くん』づけなんてさすがに有り得ない。それを伝えようと口を開きかけると、

「はいはい、早くしないと店が混んじゃうよ。コレ片づけてあげるから、急いでー」

「え!? いえ、私がやりますから」

ティーカップが乗ったトレイをかすめ取られてあせる。取り戻そうとしても彼は愛莉よりもかなり背が高いうえに彼の両腕は頭の上だ。到底、届かない。

「さあさあ、行くよ」

「あの、支度ができたらすぐに参りますから!」

鼻歌を響かせながら給湯室へ行ってしまった要を見送る。さっさと帰り支度を済ませて給湯室へ行くしかない。
愛莉は机上の事務用品を引き出しにしまい、書類をザックリとまとめて本立てに押し込んだ。
支度を終えて給湯室へ向かうと、ティーカップやソーサーは綺麗にもとの場所へと片づけられていた。

「すみません、専務。こんなことをしてもらうなんて」

「か・な・め、だよ。ちゃんと呼んでくれなきゃ困るよ? 特に諒太くんの前では、ね」

いい大人がウィンクをしている。それなのに違和感を覚えないのは、彼の容姿とキャラクターのせいだろうか。

「じゃ、行こっか。タクシー呼んであるから」

皿洗いをしてタクシー会社に電話までかけていたことの手ぎわよさに感心しつつ、愛莉は要にしたがって裏口を出た。

タクシーに乗って揺られること数分、着いた先はイタリアンの居酒屋だった。まだ早い時間だからそう混んではいない。いかにも女性が好みそうな店がまえで、要の行きつけなのか店に入るなり男性店員と親しげに話をしている。

「どうぞ、こちらへ」

ミルクティー色の頭をした黒縁眼鏡の店員に案内され、愛莉たちは奥の個室へと入った。三人で使うにはもったいないくらいに広い。しかも掘りごたつだ。よかった、正座はあまり得意ではない。寛げそう。

「じゃ、とりあえず生でいいかな? あ、愛莉ちゃんはカクテルのほうがいい?」

「いえ、みなさんと同じもので大丈夫です」

要は「おっけー」と軽い調子で言って、個室の出入り口に控えていた先ほどの男性店員に生ビールを注文している。

(お酒はその一杯だけにしよう)

前回、飲みに行ったときは酒に飲まれて記憶をなくし、後日、踏んだり蹴ったりの思いをしたばかりだ。反省している。もうこりごりだ。

「それじゃ、かんぱーい! 愛莉ちゃん、ようこそ。これからよろしくね」

「はい、よろしくお願いします」

ななめ向かいに座る要、隣の塩野谷とコツンとグラスを合わせる。最近は部署を異動することもなかったから、自分が主役の歓迎会は久しぶりだ。

「まあまあそう硬くならず。今日は無礼講、いっぱい飲んでね。で、諒太くんとドコまで進んでるか教えてねー、愛莉ちゃん」

「ぶ……っ!」

お決まりのようにビールを吹きこぼしそうになり、グッとこらえる。

「誤解です! うす……社長とは何もないですから」

「またまた……じゃあなんであんなに喘いでたの?」

ドがつくほどストレートに聞かれて怯む。隣に座る塩野谷もどこかウキウキした様子でこちらを見ている。

「あれは……新しい販売戦略を提案してて……。ボイスドラマはどうかっていう話で……その、声だけで濡れるか試してただけです」

消え入りそうな声でそう言うのがやっとだった。どうせ誤魔化してもしつこく聞かれそうなので、正直に話して終わらせたほうがいい。

「へえ、そうなんだ。で、結果は? 濡れてたんだよね? そのあと何をされてあんな嬌声を上げてたのかな」

「それ、は……。言えません」

「ほらぁ、何もなくないじゃん」

要はクスリと笑ってビールをあおった。完全に面白がられている。愛莉は憤然と口を開いた。
「みなさんのことも教えて下さい! 私は正直に話したんですから」

「はは、そうだね。ゴメンゴメン、ちょっとからかい過ぎた。でもねえ、俺は特に話すことないよ。恋人募集中ってことくらいかな。塩野谷くんは?」

「僕は年上の彼女と絶賛ラブラブ中です! すみませーん、ビール三杯お願いしまーす」

一杯目を飲み干した塩野谷はさっそく次を注文している。要のグラスも空になりそうだ。

「ホラ愛莉ちゃんっ、早く飲んで! 次のがきちゃうよ」

塩野谷に急かされる。案の定、彼が追加注文した三つのビールのうちのひとつは愛莉のぶんだ。

「いえ、私は今日はあまり」

「今日は俺のオゴリだから、じゃんじゃん飲んでよ。愛莉ちゃんの恋愛事情、もっと知りたいし」

「ふぐっ……!」

向かいから伸びてきた手がグラスをつかみ、愛莉の口もとに押し当てられる。なんというか、要は物腰は柔らかいがやることが強引だ。
無理に傾いてこぼれそうになっているビールを、愛莉はしぶしぶすすった。

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