◆
歓迎会の翌週、嶋谷 愛莉は緊張した面持ちで会社へ向かっていた。
碓氷の自宅でのぼせて倒れるという失態のあと、愛莉はすぐに彼の自宅を出た。送って行くと言ってきかない彼の申し出を何とか断って愛莉は帰宅したのだった。
(どういう顔して会えばいいんだろう)
きっと彼はもう出社している。蜷川や塩野谷は始業時間ギリギリにしかこないから、それまでは必然的に社長の碓氷とふたりきりになってしまうのだ。
愛莉は勤務初日よりもさらに重い足取りで裏口の扉を開け、なかへと入った。
「おはようございます、碓氷さん」
開けっぱなしの社長室の扉をコンコンッとノックして挨拶をした。案の定、彼は愛莉よりも先に出社していた。雑巾を片手にせっせと自分の机を拭いている。
「おはよう。……具合はどうだ」
コワモテのまま尋ねられる。愛莉はとっさにうつむいて小さな声で「平気です」と答えた。
「嶋谷くん、突然で申しわけないんだが」
愛莉も朝の清掃をすべく用具室へ行こうとしていた。呼び止められたので、返事をして続きをうながす。
「――というわけだから、すぐに社を出る。一緒にきてくれ」
「え、え……っ!? いますぐですか?」
いつもより慌ただしく社長室を出て行く碓氷のあとを、愛莉はバッグを肩にかけ直して追った。
(すぐに出かけるつもりだったから、車寄せに停めてあったのね)
裏口を出てすぐのところには王冠マークがついた黒いセダンが駐車してあった。碓氷の車だったようで、彼は颯爽と乗り込んでいる。愛莉は小走りで助手席側にまわり込んだ。
「お食事は何時からなんですか?」
車が走り始めて数分してから尋ねた。
商品を卸しているホテルの社長と会食をするからついてきてくれと言われ、けれどまだ朝の七時半だ。まさか朝食を一緒にとるわけではないはずだ。
「正午だ。取引先までは高速を使っても四時間はかかる。……煙草、吸ってもいいか」
「あっ、はい。どうぞおかまいなく」
高速道路に入る前に一服しておきたいのだろう。信号待ちになったところで、碓氷は窓を開けて煙草をくわえた。
(少なくともこれから四時間はこのなかでふたりっきり……)
愛莉は前を向いたまま動けずにいた。
妙に緊張してしまって、話題を探すもののなにも浮かんでこない。
碓氷のほうを盗み見ると、煙を口から吐き出していて、いかにもリラックスしているようだった。
「ひとつ聞きたいんだが」
「はっ、はい! 何でしょうか」
急に彼が口をひらいたから、愛莉はビクンと肩を震わせ、前を向いたまま言った。
「その、きみは……いまつき合っている男はいるのか」
いまさらそれを聞くのか、というかいまそれを聞くのか。愛莉はすぐに「いません」と答えた。
「……そうか」
そう言ったきり、碓氷はなにもしゃべらない。空気が重い。
「碓氷さんは……どうなんですか?」
身体の中枢がドクンドクンと高鳴っていた。彼の顔は見ずに答えを待つ。
「いない。だがつき合いたい女性はいる」
今度はトクンと心臓が跳ねる。この話題をもっと深く掘り下げてもいいものかと悩んでいると、タイミングがいいのか悪いのか携帯電話のバイブが鳴った。
「――はいっ、嶋谷です。はい……あっ、すみません! いま社長と一緒に取引先へ向かっていて――……はい、はい。わかりました、よろしくお願いします」
会社から、正確に言うと塩野谷からの電話だった。出社したものの、碓氷も愛莉もいないものだから、あわてて電話をしてきたようだった。
「塩野谷からか? きみと一緒に出張すると蜷川さんには言っておいたんだが」
「蜷川さんはお休みなさってるみたいです」
「ああ、俺がいないからサボったんだな……。いつもそうだ。まったく、困ったひとだ」
やれやれといったようすでため息をつく碓氷を横目に見て、愛莉はあいまいにほほんだ。
たわいもない話をしているうちに目的地へと着いた。
門がまえは立派で、高級そうな和風の料亭だ。愛莉は自分の格好が少し恥ずかしくなった。
(もうちょっとカッチリしたのを着てくればよかった)
ブロッキング柄のニットワンピースはしっとりとした雰囲気の料亭には不釣り合いな気がした。
いっぽうの碓氷は今日も品のよいストライプのスーツを着ている。愛莉は気おくれして、彼から少し距離を取ってうしろを歩いた。
***
「今日はすっかりつき合わせてしまって、悪かったな」
取引先の社長との食事を終えたふたりはふたたび高速道路に乗っていた。
視界は極めて悪い。雨が降りしきっているからだ。
「いえ、とんでもございません。ご一緒させていただき、ありがとうございました。それにしてもひどい雨ですね……」
「そうだな、通行止めになってる」
「えっ」と小さく叫んで愛莉は電光掲示板を仰ぎ見た。数キロ先で土砂崩れが起きて、通行止めになっているようだ。
「参ったな……」
碓氷は車線を変更して出口へ向かう。帰路はまだ三分の一も進んでいない。
「下道で帰っていたら深夜になってしまう。今夜はここに泊まろう」
「ほへっ!?」
愛莉が目を見ひらいて碓氷のほうを振り向くのと同時に彼はホテルの駐車場に入っていた。愛莉は頓狂な声を出してしまったことを恥じつつ話しかける。
「あの、私は帰りが遅くなっても大丈夫です」
「この大雨の中、俺に何時間も運転しろというのか」
「いえっ、そんなつもりじゃ……」
「では決まりだ。ここはさっき会った社長が経営するホテルだから、うちの商品も置いてあるぞ」
うまく丸め込まれてしまった気がするが、他の提案をすることができず、愛莉は碓氷にうながされるままホテルの一室に入った。
(……お洒落な部屋)
ラブホテルに泊まるからといって必ずしもなにか起こるわけではない。そうひらき直って愛莉は部屋のなかをグルリと見まわした。
壁は落ち着いた風合いのベージュのクロスで覆われている。深紅のカーテンがついた天蓋ベッドは部屋の隅にあっても存在感がある。
外観もそうだったけれど、一般的なホテルと雰囲気はそう違わない。
むしろビジネスホテルよりも豪華だ。フロントは有人だったから、尚更ラブホテルという感じはしなかった。
「さて、どれにするかな」
碓氷は大きなソファにどっかと腰かけて脚を組み、フロントで受け取った紙袋の中身を漁っている。
「何ですか? それ」
立ったままのぞき込むと、中には卑猥な形をした玩具が大量に入っていた。
「なっ、これって」
「すべてうちの商品だ。さあ、どれにする? たまにはきみが決めろ」
「えっと……私、疲れたので先に寝ます」
「そうか。では明日に疲れが残らないように身体を揉んでやろう」
「けっ、結構です……あ、ちょっと、待っ……碓氷さん!」
背中を押されてベッドぎわまで追い込まれる。そのままうしろから強く押され、愛莉はスプリングがきいたベッドに身体を沈ませた。
「まずは肩から」
碓氷はうつ伏せの愛莉にまたがって、宣言通りに肩を揉んでいる。
「碓氷さん、本当に結構ですから」
「遠慮するな。意外と凝ってるぞ」
それからしばらく押し問答をした。碓氷は愛莉の身体を揉むのをやめない。肩や背中を揉まれてはいるけれど、いやらしさは感じなかった
愛莉はしだいにリラックスしていく。眼鏡をはずしてベッド端に置き、瞳を閉じて枕に顔を押しつけた。
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歓迎会の翌週、嶋谷 愛莉は緊張した面持ちで会社へ向かっていた。
碓氷の自宅でのぼせて倒れるという失態のあと、愛莉はすぐに彼の自宅を出た。送って行くと言ってきかない彼の申し出を何とか断って愛莉は帰宅したのだった。
(どういう顔して会えばいいんだろう)
きっと彼はもう出社している。蜷川や塩野谷は始業時間ギリギリにしかこないから、それまでは必然的に社長の碓氷とふたりきりになってしまうのだ。
愛莉は勤務初日よりもさらに重い足取りで裏口の扉を開け、なかへと入った。
「おはようございます、碓氷さん」
開けっぱなしの社長室の扉をコンコンッとノックして挨拶をした。案の定、彼は愛莉よりも先に出社していた。雑巾を片手にせっせと自分の机を拭いている。
「おはよう。……具合はどうだ」
コワモテのまま尋ねられる。愛莉はとっさにうつむいて小さな声で「平気です」と答えた。
「嶋谷くん、突然で申しわけないんだが」
愛莉も朝の清掃をすべく用具室へ行こうとしていた。呼び止められたので、返事をして続きをうながす。
「――というわけだから、すぐに社を出る。一緒にきてくれ」
「え、え……っ!? いますぐですか?」
いつもより慌ただしく社長室を出て行く碓氷のあとを、愛莉はバッグを肩にかけ直して追った。
(すぐに出かけるつもりだったから、車寄せに停めてあったのね)
裏口を出てすぐのところには王冠マークがついた黒いセダンが駐車してあった。碓氷の車だったようで、彼は颯爽と乗り込んでいる。愛莉は小走りで助手席側にまわり込んだ。
「お食事は何時からなんですか?」
車が走り始めて数分してから尋ねた。
商品を卸しているホテルの社長と会食をするからついてきてくれと言われ、けれどまだ朝の七時半だ。まさか朝食を一緒にとるわけではないはずだ。
「正午だ。取引先までは高速を使っても四時間はかかる。……煙草、吸ってもいいか」
「あっ、はい。どうぞおかまいなく」
高速道路に入る前に一服しておきたいのだろう。信号待ちになったところで、碓氷は窓を開けて煙草をくわえた。
(少なくともこれから四時間はこのなかでふたりっきり……)
愛莉は前を向いたまま動けずにいた。
妙に緊張してしまって、話題を探すもののなにも浮かんでこない。
碓氷のほうを盗み見ると、煙を口から吐き出していて、いかにもリラックスしているようだった。
「ひとつ聞きたいんだが」
「はっ、はい! 何でしょうか」
急に彼が口をひらいたから、愛莉はビクンと肩を震わせ、前を向いたまま言った。
「その、きみは……いまつき合っている男はいるのか」
いまさらそれを聞くのか、というかいまそれを聞くのか。愛莉はすぐに「いません」と答えた。
「……そうか」
そう言ったきり、碓氷はなにもしゃべらない。空気が重い。
「碓氷さんは……どうなんですか?」
身体の中枢がドクンドクンと高鳴っていた。彼の顔は見ずに答えを待つ。
「いない。だがつき合いたい女性はいる」
今度はトクンと心臓が跳ねる。この話題をもっと深く掘り下げてもいいものかと悩んでいると、タイミングがいいのか悪いのか携帯電話のバイブが鳴った。
「――はいっ、嶋谷です。はい……あっ、すみません! いま社長と一緒に取引先へ向かっていて――……はい、はい。わかりました、よろしくお願いします」
会社から、正確に言うと塩野谷からの電話だった。出社したものの、碓氷も愛莉もいないものだから、あわてて電話をしてきたようだった。
「塩野谷からか? きみと一緒に出張すると蜷川さんには言っておいたんだが」
「蜷川さんはお休みなさってるみたいです」
「ああ、俺がいないからサボったんだな……。いつもそうだ。まったく、困ったひとだ」
やれやれといったようすでため息をつく碓氷を横目に見て、愛莉はあいまいにほほんだ。
たわいもない話をしているうちに目的地へと着いた。
門がまえは立派で、高級そうな和風の料亭だ。愛莉は自分の格好が少し恥ずかしくなった。
(もうちょっとカッチリしたのを着てくればよかった)
ブロッキング柄のニットワンピースはしっとりとした雰囲気の料亭には不釣り合いな気がした。
いっぽうの碓氷は今日も品のよいストライプのスーツを着ている。愛莉は気おくれして、彼から少し距離を取ってうしろを歩いた。
***
「今日はすっかりつき合わせてしまって、悪かったな」
取引先の社長との食事を終えたふたりはふたたび高速道路に乗っていた。
視界は極めて悪い。雨が降りしきっているからだ。
「いえ、とんでもございません。ご一緒させていただき、ありがとうございました。それにしてもひどい雨ですね……」
「そうだな、通行止めになってる」
「えっ」と小さく叫んで愛莉は電光掲示板を仰ぎ見た。数キロ先で土砂崩れが起きて、通行止めになっているようだ。
「参ったな……」
碓氷は車線を変更して出口へ向かう。帰路はまだ三分の一も進んでいない。
「下道で帰っていたら深夜になってしまう。今夜はここに泊まろう」
「ほへっ!?」
愛莉が目を見ひらいて碓氷のほうを振り向くのと同時に彼はホテルの駐車場に入っていた。愛莉は頓狂な声を出してしまったことを恥じつつ話しかける。
「あの、私は帰りが遅くなっても大丈夫です」
「この大雨の中、俺に何時間も運転しろというのか」
「いえっ、そんなつもりじゃ……」
「では決まりだ。ここはさっき会った社長が経営するホテルだから、うちの商品も置いてあるぞ」
うまく丸め込まれてしまった気がするが、他の提案をすることができず、愛莉は碓氷にうながされるままホテルの一室に入った。
(……お洒落な部屋)
ラブホテルに泊まるからといって必ずしもなにか起こるわけではない。そうひらき直って愛莉は部屋のなかをグルリと見まわした。
壁は落ち着いた風合いのベージュのクロスで覆われている。深紅のカーテンがついた天蓋ベッドは部屋の隅にあっても存在感がある。
外観もそうだったけれど、一般的なホテルと雰囲気はそう違わない。
むしろビジネスホテルよりも豪華だ。フロントは有人だったから、尚更ラブホテルという感じはしなかった。
「さて、どれにするかな」
碓氷は大きなソファにどっかと腰かけて脚を組み、フロントで受け取った紙袋の中身を漁っている。
「何ですか? それ」
立ったままのぞき込むと、中には卑猥な形をした玩具が大量に入っていた。
「なっ、これって」
「すべてうちの商品だ。さあ、どれにする? たまにはきみが決めろ」
「えっと……私、疲れたので先に寝ます」
「そうか。では明日に疲れが残らないように身体を揉んでやろう」
「けっ、結構です……あ、ちょっと、待っ……碓氷さん!」
背中を押されてベッドぎわまで追い込まれる。そのままうしろから強く押され、愛莉はスプリングがきいたベッドに身体を沈ませた。
「まずは肩から」
碓氷はうつ伏せの愛莉にまたがって、宣言通りに肩を揉んでいる。
「碓氷さん、本当に結構ですから」
「遠慮するな。意外と凝ってるぞ」
それからしばらく押し問答をした。碓氷は愛莉の身体を揉むのをやめない。肩や背中を揉まれてはいるけれど、いやらしさは感じなかった
愛莉はしだいにリラックスしていく。眼鏡をはずしてベッド端に置き、瞳を閉じて枕に顔を押しつけた。