あいまいな恋の自覚 ~鬼畜な御曹司と淫らな遊び~ 《 18

豪雨に見舞われた翌朝は嘘のようにすっかり晴れて、どことなく空気が澄んでいる気がした。
早朝にホテルを発ったふたりは昼前に自分たちの街へ戻った。


「送っていただいてありがとうございます。着替えを済ませたらすぐに出社しますので」

「いや、今日は出社しなくていい。それより引越しをしろ」

「……へ?」

愛莉は自宅である古ぼけたアパートの前で碓氷と向かい合って目を丸くしていた。

「年頃の未婚女性がオートロックもついていないアパートの1階に住んでいるなんて危険すぎる。引越業を営んでる知り合いがいるから、すぐに手配できないか尋ねてみよう」

碓氷はスラックスのポケットからスマートフォンを取り出して素早く画面をタップしている。

「なっ、ちょっと待って下さい碓氷さんっ!」

「もしもし、俺だ。突然で悪いんだが――」

引越業者らしきひとと電話をし始めてしまった碓氷をアワアワと見つめる。
この古ぼけたアパートには学生のころから住んでいて、確かに引っ越したいとは思っていたけれどそんなに急に言われても困る。
第一、引っ越し先が見つかっていない。

「――ああ、分かった。頼む」

「あの、碓氷さん……っ」

「2時にきてくれるそうだ。あまり時間がないな。荷物をまとめるのを手伝おう」

「待って下さい! 引越先も決まってないのに」

「俺の家にくればいい。部屋は余っている」

ポカンと口を開ける。どこから突っ込めばいいのかわからない。

碓氷は愛莉の手からすり抜けそうになっていた自宅の鍵をかすめ取って、自分の家のように平然と玄関扉を開けた。


「おい、そんなものは放っておいていい。それより早く荷造りをしろ。あと2時間で業者がくるぞ。少しでも荷造りしておいたほうが早く仕上がる」

「はっ、はいっ!」

ワンルームのしみったれたアパートにブランドもののスーツを着た男性がいるのは何ともおかしい。
もっとも、その高級スーツのジャケットはソファのうえに脱ぎ捨てられていて、それをハンガーにかけようとしていたら先ほどのお叱りを受けたわけだ。

(どうしよう、どうしよう。碓氷さんたら、本気なのかな)

碓氷はカーテンを外している。ネクタイはワイシャツの胸ポケットのなか、両そではまくられていて筋肉質な腕がのぞいている。

「おい、ボサッとするな。俺が触ってもいいところを指示してくれ。片づける」

「えっ、えっと、じゃあ台所を……」

「わかった」と短く言って、碓氷は大きめの紙袋に台所の小物を詰め込んでいる。
紙袋はいままで行った結婚式やら買い物やらで溜め込んでいたものだ。まさかこんな形で役に立つ日がくるとは思っていなかった。

(碓氷さんの家に引っ越しって……それってつまり、同棲ってことだよね)

愛莉はクローゼットの中身を整理しながら悶々と考えていた。心が浮き立って、全く作業に集中できない。そうしてダラダラとしているあいだに引越業者がやってきて、愛莉の部屋の荷物は瞬く間に梱包されて姿を消した。

***

「それじゃあ俺は1階にいるから、なにかあったら呼んでくれ。きみは今日は荷解きをしていてくれればいい。終わったら適当に寛いでいろ。社には顔を出さなくていい」

バタン、と扉が閉まる。コンコンコン、と金属階段を下る足音が響く。不思議な気分だった。
今日から会社の3階に――碓氷の家に住むなんて信じられない。
けれどいつまでも呆然としているわけにもいかない。引越業者に運び入れてもらった段ボールを整理しなくては。

(えっと、私の部屋は……こっちだったよね)

広い家だから迷いそうになる。
長い廊下を歩き、愛莉は自分の部屋へと向かった。与えられたのはリビングからほど近い南側の部屋だ。周りに高い建物はないし、3階ということもあって日当たりは抜群だ。

(家賃、払わなくちゃ……。いくらだろう)

この部屋は愛莉が先ほどまで住んでいたワンルームよりも広い。今まで格安の家賃しか払っていなかった愛莉は少し不安になりながらも部屋着に着替え、荷解きをしながらスペースを整えた。

(思ったよりも早く片づいちゃった。会社にはこなくていいって言ってたし……。ご飯でも作ろう)

愛莉は自分の部屋の冷蔵庫から調味料と食材を取り出して台所へ運び、意気揚々と晩御飯づくりに取りかかった。
リビングダイニングの広い窓から見える夕焼けは美しい。ふたりぶんの食事をつくり終えた愛莉は家主が帰ってくるのを心待ちにしていた。

(碓氷さん、遅いな……)

しびれを切らした愛莉はダイニングの椅子から立ち上がって居間のソファへと移り、テレビをつけた。
この大きな空間にたったひとりというのはじつに寂しい。碓氷もふだんはこんな気持ちなのだろうか。

(……眠くなってきた)

昨夜はほとんど一晩中、彼とみだらなことをしていたから、いまになって眠気におそわれる。
少しだけのつもりで、愛莉はふかふかのソファに横になった。

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