あいまいな恋の自覚 ~鬼畜な御曹司と淫らな遊び~ 《 25

クリスマスを目前にひかえたある月曜日、愛莉は社員食堂で同僚の静香と昼食をとっていた。
パーテーションに区切られたブースはある程度の、ささやかなプライバシーが守られていて、話し込むのにちょうどいい。だから愛莉たちは午後の始業時間ぎりぎりまで食堂に居座っていることがたびたびある。

「ええっ、じゃあイヴはバラバラに過ごすんですか?」

静香は目を見開いて身を乗り出している。

「うん、取引先との食事会らしいんだけど……。諒太さんも相手のほうも、その日しかスケジュールが空いてないんだって」

もうすぐクリスマス・イヴだが、諒太はその日 はずせない接待が入ってしまって一緒には過ごせない。接待というよりも忘年会のようなものだそうだ。

(取引先のひと、恋人がいないのかな。イヴにわざわざ忘年会だなんて! でも今年はイヴもクリスマスも平日だから、しかたないか……)

そもそもここ最近はクリスマスを祝ってなんかいなかった。だからべつにどうってことはない。そう思って愛莉はあきらめたのだった。

「そんなあ……。でも、いいですね。諒太さん、だって! 婚約者っぽくて素敵です。プロポーズはどんなだったんですか?」

「あー……、えーと……」

愛莉は間をもたせるためにおもむろにコーヒーをすすりながら床に視線を落とした。静香はウキウキとしたようすで愛莉の答えを待っている。

「その……、なんていうか……。歩きながら、だった」

「……え? それ、どういうことですか!?」

「だからね、歩きながら……。なんて言ってたっけ、たしか『いまからきみを婚約者として紹介する』だったかなあ」

「な……っ、それだけですか!? そんな、ヒドくないですか!?」

愛莉はふたたびコーヒーをすする。たしかにヒドい話かもしれない。けれどだからといって、プロポーズをやり直してほしいとは思わない。彼と結婚する事実は変わらないのだから、ささいなことだ。

「わっ、私の話はもういいよ……。そういう静香ちゃんは最近どうなの?」

「あ、えっとですね……。その、イヴは氷室さんとデートする予定です」

ポッとほほをピンク色に染める彼女はとてもかわいらしい。

(氷室さん、氷室さん……? 誰だっけ)

少し考えて、すぐにあの軽い感じの男の顔を思い出した。

「え、ええ!? 氷室さんって、要さん?」

「はい」と言いながらこんどは静香がコーヒーをすすった。恥ずかしそうに目を伏せている。

「もう?、いつの間にそんな関係になってたの? つき合っていまどれくらい?」

愛莉はニヤニヤしながら、いつかの合コンを思い出していた。そういえばあのとき、彼女は要に一目惚れしていたようだった。

「いえ、おつき合いしてるわけじゃないんです」

「……どういうこと?」

愛莉が静香を追求する番がきた。静香が言うには、お互いにフリーで寂しいからイヴを一緒に過ごさないかと要に提案されたらしい。

「うーん……。でも、静香ちゃんはそれでいいの?」

「はい。一緒にイヴを過ごせるだけでもう……胸がいっぱいです」

「……そっか」

要が静香を泣かせることがないように諒太から言ってもらおうと愛莉はひそかに決意する。
「そろそろ戻ろっか」

いまだに嬉しそうにほほえんだままの後輩にそう言って席を立った。

ふたりの会話はパーテーションを隔ててすぐの、うしろの席に座っていた諒太に一部始終まる聞こえだったのだが、愛莉はそれに気づくことなく食堂をあとにした。



イヴの日はやはり諒太は接待だった。帰りは深夜になるからさきに眠っていていいと言われたので、その通りに早めにベッドへもぐり込んだ。

(ひとりでいつまでも起きてたって、寂しいだけだもん)

さっさと寝てしまおう、そう思うのになかなか寝つくことができない。目はシッカリとさえていた。
これは、彼が帰ってくるまで眠れそうにない。そんなことを考えているうちにいつの間にか寝てしまっていたようで、モゾリ、と布団が動いたことで愛莉は目覚めた。

「ん……諒太さん? お帰りなさい」

まぶたをこすりながら、愛莉のうえに覆いかぶさっている彼を見上げる。お酒のにおいがする。

「愛莉……、このあいだの実家でのことなんだが……。なしにしてくれないか」

「え……?」

もともと薄暗い寝室がさらに暗くなったような気がした。光源は空気清浄機の淡い緑色だけだから、彼の顔はほとんど見えない。

「それって、どういう……」

このあいだの実家でのことといえば、婚約者として紹介されて彼の父親の誕生会に出席したことだ。

(なしに、って……婚約を解消するってこと?)

もしかしてほかに好きなひとでもできたのだろうか。彼が本社にきたことでよくわかったのだが、やはり諒太は女性にモテる。彼がさっそうと廊下を歩くと、女性社員は諒太を盗み見ながらにこやかにヒソヒソ話をする。そんな光景をなんども目にした。

(今日も、本当は取引先のひとではなくて女のひとと一緒に過ごしていたりして――)

そう考えたら自然と涙がこぼれでた。どういうふうにせがめば彼をつなぎとめていられるのか見当もつかない。

「……おい、泣いてるのか? どうしたんだ」

諒太は焦ったようすで愛莉の涙をそっとぬぐった。

「りょ、た、さ……。私、どこがダメですか……? なおします、から……!」

「は……? ダメなところなんてひとつも……。あ、違う! さっきのは、そういう意味ではない」

悪い、勘違いさせた、とつけ加えながら諒太は片手でガシガシと頭をかいた。それから愛莉の目から流れ出る透明の粒を舌ですくった。
彼の胸もとに添えていた左手をとられる。

「プロポーズをやり直させてほしい、という意味だ」

左手の薬指に冷たい金属の感触がした。はまっている指輪をよく見たいのに、薄暗いのと、目が霞むせいでぼんやりとしか見えない。涙はますますあふれでていた。

「きみとずっと一緒にいたい。いまも、これからさきも……ずっと、死ぬまで。いや、来世もその先も」

唇が押し重なる。嗚咽が止まらないから、うまく舌を絡められない。愛莉は泣きながら彼の背に腕をまわして、きつく抱きしめた。

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