梅雨入り宣言がなされた日、理沙は傘をさして帰路を歩いていた。
今日は部長が出張から帰ってくる日だ。先ほど、夕飯を所望するメールがあった。今日は少し豪華なご飯を作ろう。献立を考えながら、きららを自室に連れて行こうと部長の部屋を合鍵で開けたときだった。
「にゃぁあん!」
「わっ……! え、ちょ、きらら……!?」
子猫が勢いよく飛び出してきたかと思うと、理沙の足のあいだをくぐって玄関扉をすり抜けて行った。
「きらら! 待って……っ!」
すぐに追いかけたけれど、すばしっこい子猫の姿はあっという間に見えなくなってしまった。
(うそ……きらら、どこに行っちゃったの……!?)
理沙はマンションを出て、子猫が消えた方角に駆け出した。
雨はあいかわらず降っていて、傘を置いてきてしまったことに少し走ってから気がついたけれど、いまはそれどころではない。
(部長が帰ってくる前に、きららを見つけなくちゃ。もし、このまま見つからなかったら……)
蔑むような顔をして落胆する部長の姿が容易に想像できる。
いやだ、部長に嫌われたくない。
(きらら、どこなの……)
頬を伝う、雨なのか涙なのかわからない水滴をぬぐって、理沙は小さな子猫を探し求めて走りまわった。
♦
三日ぶりに自宅の扉を開けると、不用心にも鍵が開いていた。弟は意外と神経質だから鍵をしめ忘れるなんてことはおそらくない。
だとすると合鍵を渡した隣人のしわざだろう。しかたのないやつだな、とため息をついて105号室の呼び鈴を押した。
(……妙だ)
いつもならすぐに出てくる。
(俺がくる日は玄関の明かりをつけてくれているのに……)
何度も呼び鈴を押すが、人の気配はない。携帯電話にも出ない。
百合菜 頼智は一抹の不安を感じて、ふたたび傘をさしてマンションを出た。
どういうことが起こっているのか、直感的に予想がついた。本当にあいつは、どうしようもないやつだ。
あきれることばかりだから、目が離せない。いや、片時も放したくないというべきか。
それから間もなくして、ひとけのないマンションの裏で雨に濡れて震える愛しいひとを見つけた。
それはまるでいつかの子猫のように、儚なかった。
♦
どれくらいそこにうずくまっていたのかわからなかった。雨が降っているから、陽が沈んだのかすらわからない。少し、寒くなってきた。
「時任……」
ビクン、と時任 理沙は身を震わせた。待ち焦がれていたはずの、彼の声だ。
(どうしよう、顔が上げられない……)
三日ぶりに会うから、きちんと化粧をしようと思っていたのに。いや、いまそんなことはどうでもいい。
顔を合わせられない最大の問題は、まだ解決していない。
「部長……。きらら、玄関から……出て行っちゃって、探したけど……まだ、見つからなく、て……っ、私……っ!」
うつむいたまま話していたら、涙があふれてきてしまった。
きっと泣きたいのは部長のはずなのに。
どんな責め句でも受け入れるつもりでいたら、急に身体が宙に浮いた。
「……おまえが無事でよかった」
予想していない言葉だった。けれどそんなことを言われたら、ますます涙が止まらなくなる。
部長は傘もささずに理沙を抱きかかえて、歩き始めた。
「ぶちょ、ごめ、なさ……っぅく、ごめ……っ!」
理沙は濡れたシャツに顔をうずめ、子どものように泣きじゃくった。
今日は部長が出張から帰ってくる日だ。先ほど、夕飯を所望するメールがあった。今日は少し豪華なご飯を作ろう。献立を考えながら、きららを自室に連れて行こうと部長の部屋を合鍵で開けたときだった。
「にゃぁあん!」
「わっ……! え、ちょ、きらら……!?」
子猫が勢いよく飛び出してきたかと思うと、理沙の足のあいだをくぐって玄関扉をすり抜けて行った。
「きらら! 待って……っ!」
すぐに追いかけたけれど、すばしっこい子猫の姿はあっという間に見えなくなってしまった。
(うそ……きらら、どこに行っちゃったの……!?)
理沙はマンションを出て、子猫が消えた方角に駆け出した。
雨はあいかわらず降っていて、傘を置いてきてしまったことに少し走ってから気がついたけれど、いまはそれどころではない。
(部長が帰ってくる前に、きららを見つけなくちゃ。もし、このまま見つからなかったら……)
蔑むような顔をして落胆する部長の姿が容易に想像できる。
いやだ、部長に嫌われたくない。
(きらら、どこなの……)
頬を伝う、雨なのか涙なのかわからない水滴をぬぐって、理沙は小さな子猫を探し求めて走りまわった。
三日ぶりに自宅の扉を開けると、不用心にも鍵が開いていた。弟は意外と神経質だから鍵をしめ忘れるなんてことはおそらくない。
だとすると合鍵を渡した隣人のしわざだろう。しかたのないやつだな、とため息をついて105号室の呼び鈴を押した。
(……妙だ)
いつもならすぐに出てくる。
(俺がくる日は玄関の明かりをつけてくれているのに……)
何度も呼び鈴を押すが、人の気配はない。携帯電話にも出ない。
百合菜 頼智は一抹の不安を感じて、ふたたび傘をさしてマンションを出た。
どういうことが起こっているのか、直感的に予想がついた。本当にあいつは、どうしようもないやつだ。
あきれることばかりだから、目が離せない。いや、片時も放したくないというべきか。
それから間もなくして、ひとけのないマンションの裏で雨に濡れて震える愛しいひとを見つけた。
それはまるでいつかの子猫のように、儚なかった。
どれくらいそこにうずくまっていたのかわからなかった。雨が降っているから、陽が沈んだのかすらわからない。少し、寒くなってきた。
「時任……」
ビクン、と時任 理沙は身を震わせた。待ち焦がれていたはずの、彼の声だ。
(どうしよう、顔が上げられない……)
三日ぶりに会うから、きちんと化粧をしようと思っていたのに。いや、いまそんなことはどうでもいい。
顔を合わせられない最大の問題は、まだ解決していない。
「部長……。きらら、玄関から……出て行っちゃって、探したけど……まだ、見つからなく、て……っ、私……っ!」
うつむいたまま話していたら、涙があふれてきてしまった。
きっと泣きたいのは部長のはずなのに。
どんな責め句でも受け入れるつもりでいたら、急に身体が宙に浮いた。
「……おまえが無事でよかった」
予想していない言葉だった。けれどそんなことを言われたら、ますます涙が止まらなくなる。
部長は傘もささずに理沙を抱きかかえて、歩き始めた。
「ぶちょ、ごめ、なさ……っぅく、ごめ……っ!」
理沙は濡れたシャツに顔をうずめ、子どものように泣きじゃくった。