ひきこもり令嬢は囚われの貴公子に溺愛される 《 第一章 ひきこもり令嬢のたくらみ 02

「育毛薬といったところで、同じじゃない」
「いや、ぜんぜん違う。毛生え薬といったら、僕の頭がはげているみたいだ」
「まあ、将来はわからないわよね」
 リルとロランの父親は見事にはげている。祖父に至ってもつるっぱげだった。ロランはいま四十六歳。十年先を気にしていまから育毛薬を愛用しているのだ。
 事実、リルが調合する育毛薬を処方しはじめてから抜け毛が減ったらしい。
「将来はげないために、いまきみの薬を使って髪の毛をケアしているんだ。リル、このことはくれぐれも」
「わかっているわ。他言無用、でしょう。心配しなくても、私にはそのことを面白おかしくうわさして楽しむような相手はいないわ」
 部屋の壁と同じピンク色のソファに座った兄の眼前にリルは「はい、どうぞ」と言いながらハーブティーを差し出した。あらかじめ焼いておいたスコーンも、皿に盛り付けてティーカップのとなりに並べる。
「ああ、ありがとう。でもリル、街へ薬を売りに行くときは誰かしらと話をするだろう?」
「あら? 言ってなかったかしら。薬売りはすべて商人に委託することにしたの。ちょうど今日あたり、そのひとが薬を取りにくるんじゃないかしら。だから、私は街へは出なくてもよくなったのよ」
「ええっ、初耳だよ。そうか、じゃあきみはますますこの森に引きこもっているというわけか」
 ロランはどこか哀しげに息を吐き、ティーカップを手に取った。
「……べつにいいじゃない。引きこもりのなにがいけないの」
 この見た目だ。べつの誰かに委託して販売するほうが売れると思ってそうした。
「責めているわけではないよ。ただ……、本当にそれでいいのかい? リルは以前、言っていたじゃないか。薬を調合して、それを服用したひとが笑顔になってくれるのが嬉しいのだと」
 兄の向かいに腰をおろし、リルもティーカップをつかむ。香り高いハーブティーをひとくちだけすする。
「それはべつに、間接的に売ったところで変わりはしないわ。むしろ、より多くのひとに私の薬を届けることができるんだし」
 たしかに、みずから薬を売り歩いているときは買い手の嬉しそうな笑顔を楽しみにしていた。しかしそれ以上に、この黒い髪の毛と紅い瞳を白い目で見られるのが嫌なのだ。この国の人々はみな金や銀、もしくは兄のように蒼い髪――明るい色の髪の毛だ。瞳も、リルのように真っ赤なひとには出会ったことがない。
「……そうか。まあ、きみがそれでいいのなら僕はこれ以上なにも言わないよ」
 ロランはミックスベリージャムをスコーンにたっぷりと塗りつけて、上品にかじった。
「ああ、このジャムは新作だね?」
「ええ、そうよ。お口に合うかしら」
 リルは森で採れたラズベリーやストロベリーをミックスしてジャムを作っている。いま兄に振舞っているのは、ベリーの配合比率を変えたばかりの新作だ。
「うん、とてもおいしいよ。このジャムも、もらって帰っていいかな。カトリオーナが喜ぶ」
 ロランはふたたびおいしそうにスコーンをほおばった。リルは「もちろん」と答える。
 カトリオーナとは彼の一人娘の名前。たしか今年で十六歳、社交界デビューの年齢だ。
「そうだ、お兄様。ジャムと引き換えに、と言ってはあれだけど、お願いがあるの」
「なんだい? 可愛い妹の願いならなんでも叶えてあげるよ」
 ジャム欲しさに調子のいいことを言っているのは明白だが、リルもそれを利用する。
「西に住む王子様を紹介してくださらない?」
「……は? なんだい、それは。まさかよその国に嫁ぐ気なのか」
「違うわ。これ以上老けない――いえ、若さを保つために、西の王子が必要なの。天からのお導きがあったの」
 ああ、また占いか、と呆れたようすでつぶやきながらロランはあごに手を当てた。
「そうだな……。じゃあ、来週の仮面舞踏会にきみも参加するといい」
「ええっ!? いやよ、舞踏会なんて」
「その舞踏会には各国の要人が集まるんだ。西の王子と言ったね? 西の小国、ルアンブルの王子も、出席するはずだよ」
「ふうん……。でも、舞踏会は嫌」
 この黒い髪の毛と紅い瞳を見られるのが嫌だ。ひとが大勢集まるところには行きたくない。ロランはリルの心のうちを見透かして提言する。
「髪の毛は、そのときだけ染めればいいじゃないか。瞳は、仮面をつけるからさほど目立たないし。まあ僕は、どちらも隠す必要なんかこれっぽっちもないと思うけどね。このうえなく美しいから」
「お世辞はやめて。髪を染めるのは……自分を偽るみたいで、嫌なのよ」
「そのときだけなんだから、我慢しなさい。それに、歳をとれば白髪になって、嫌でも染めなければならなくなる」
 リルは唇を引き結び、目を細めて兄を見つめた。いっぽうのロランはいかにも「しまった」というふうに視線を逸らした。妹の機嫌を損ねたと思ったのだろう。
「……わかったわ。その仮面舞踏会に、私も連れて行って」
 あまり気乗りはしないが、願いを成就させるためには仕方がない。

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