ひきこもり令嬢は囚われの貴公子に溺愛される 《 第一章 ひきこもり令嬢のたくらみ 04

「ああ、このハーブティー……。やはりとても落ち着く」
 いっぽうのマレットは満足気に「ふうっ」と息を吐いた。ハーブティーの香りを楽しみ、スコーンをほおばっている。
 そうしてリルの茶を飲んでいるときの彼は、リルが知るなかではいちばん自然体のように思えた。


 仮面舞踏会の前日、リルはマレットが用意した馬車に揺られていた。
 リルの屋敷は森のなかだが、じつはそこに至るまでは獣道ではなくきちんと舗装されている。石畳ではなく土を固めただけの舗装だが、小ぶりの馬車なら難なく通れるようになっている。
 屋敷を建てたあと、兄のロランがそうして道を作ってくれたのだ。木々に囲まれた長い道のりであることには変わりないが、それでも獣道よりは格段に通りやすい。
「お忙しいところ、迎えにまできていただいて本当にありがとうございます」
 マレット男爵邸までは歩いて行こうと思っていた。リルは馬には乗れないし、だからといって馬車を操れるわけでもない。
「いえ、どうかお気になさらず。このような森をひとりで歩くのは危険ですから」
「そうですか……?」
 馬車の小窓から外を眺める。たしかに木々はうっそうとしているが、まだ昼過ぎだし、天気もよく明るい。散歩をしたら気持ちがよさそうだ。
 リルは窓の外を見つめたまま言う。
「散歩日和だと思います」
「散歩って……。獣でも出たらどうするんです? たとえば熊とか」
「熊ですか。じつは森のなかを散策していて一度だけ遭遇したことがあります」
「えっ!?」
 マレットは頓狂な声を上げて顔を青くした。リルは彼のそんなようすに目を見張る。
「――! ごめんなさい、冗談です。この森には小さな動物しかいないようですよ。ほら、ほかの森よりも人里が近いですしね」
「あ、ああ……」
 長く深く息を吐き、口もとを手で覆うマレット男爵。固い表情ばかりの彼だから、驚いた顔は新鮮だった。
(まさか本気にするなんて思わなかった。……なんだ、人間らしい表情もするんじゃない)
 笑うつもりはなくても、つい「ふふ」と顔をほころばせてしまう。
「レディ・マクミランは意外とおひとが悪い」
 ぽりぽりと頬をかくマレットの顔は今度は赤くなっている。彼がそんなふうに照れるのも新鮮だ。
 マレットはリルよりも三つ年上の二十八歳。話しかたや物腰が落ち着いているので、ふだんは彼のほうがだいぶん年上に思えてしまう。いまのほうが、親近感がある。
 リルはほんの少しだけ舌を出し、ふたたび「ごめんなさい」と謝った。


 マレット男爵邸は一風変わっていた。
 なにが変わっているかというと、まず外観。どこかの島国で使われているらしい黒い石の屋根が印象的で、それだけでも目を引くのに、壁も、一般的な石造りではなく土だ。土が塗り固まって壁になっているのだという。
「なんだか、外国に来たみたいです」
 板張りの廊下に飾られているのはほかに類を見ない調度品の数々。ここを訪れるのは、調合薬の売買契約を交わして以来だから二度目だが、それでもやはり驚かずにはいられない。
「落ち着きませんか?」
 リルのななめ前を歩いていたマレットが少しだけ振り返った。
「いえっ、まさか! 素敵です、とても。非日常的で新鮮というか」
「そうですか、よかった。俺は珍しいものを集めるのが好きで……。東洋のものには昔から興味があって。見てください、これ」
 マレットは立ち止まり、壁にかけられている絵画を指差した。
「……黒い髪の、女性?」
 描かれているのは、民族衣装を着た黒い髪の女性だった。白いキャンパスに黒一色で、まるで一筆書きのように描かれたそれは緻密さはないがどうしてか引きつけられ、いつまでも眺めていたくなる。
 絵に魅入るリルを静かに見おろしてマレットが話す。
「ここから遥か東の島国では黒い髪がふつうなのだそうですよ」
 マクミラン家の先祖には東国からきた花嫁がいたという。リルはその血を引き継いでこのような髪色なのだと、だいぶん前に母が言っていたのを思い出した。
「この絵――もしよければお譲りしましょうか」
「えっ!?」
 リルは絵を見るのをやめて顔を上げた。頭ひとつぶん以上は高いマレットを見上げる。
「いっ、いえ、そんな……。大切になさっている絵なのでしょう?」
 あまりにも熱心に絵を見つめていたせいで妙な気を遣わせてしまったようだ。リルはあわてて言いつくろう。

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