目覚めるとそこには見知らぬ天井。ベッドの寝心地も明らかに違う。
リル・マクミランはゆっくりと顔を横に向けた。
「おはようございます、レディ・マクミラン」
ベッドの端に腰かけているのはマレット男爵だ。昨夜の、浴衣とかいうナイトウェアではなく、すでにきちんと服を着ている。彼の正装もまた、異国情緒あふれる変わった代物だ。
「あっ……。おっ、はよう、ございます」
リルはしどろもどろしながら挨拶を返した。
(困ったな……。へんな夢を見ちゃったから、顔を合わせづらい)
彼の顔をまともに見ることができない。窓のほうを見ながら上半身を起こす。
「よく眠れましたか?」
「そうですね、とても。ありがとうございます」
ベッドに座ったままちらりと彼を見つめる。
「あ……マレット男爵、目の下にくまができてますよ。ごめんなさい、私がベッドを占領してしまっていたから」
ベッド端で眠っていたはずなのに、いつの間にか真ん中にきていた。寝相はそう悪くないと思っていたのだが――。
「……くま? 気のせいですよ。昨夜はよく眠れましたから。もともとこうです」
「そう、ですか……?」
そうです、と語気を強めながら立ち上がるマレットを、リルは静かに見つめた。
「いやあ、それにしても見違えたよ、リル」
マレット男爵の馬車よりも豪奢なそれに揺られてリルは舞踏会場へ向かっていた。
正面には青い髪の実兄、ロランが座っている。偶然にも彼と同じ色に染まったリルの髪の毛を熱心に見つめている。
「そういう髪色だと、カトリオーナにそっくりだね」
「お兄様、言っておくけどカトリオーナが私に似てるのよ」
姪のカトリオーナとはたしかにもともと目鼻立ちが似ている。髪の色が同じになれば、酷似するのは自然だ。
「いっそカトリオーナとして振る舞ってみたらどうだい」
「なっ、馬鹿なこと言わないで。私のどこが十六歳に見えるっていうの」
「目もとを隠していれば、いけるんじゃないか?」
にやにやと嘲笑しながらロランが仮面をよこしてきた。
「ふんっ。そんなこと、ひとかけらも思ってないくせに」
やや乱雑に仮面を受け取り、視線を落とす。若かりし頃に戻れるものなら戻りたい。
髪の色を変えて自分を偽ってでも社交界に身をおいていれば、いまべつの未来があったのだろうかとも考えてしまう。
「ま、まあまあ……。十六歳には見えないにしても、きみはいまだってじゅうぶん美しいよ」
気落ちしているリルに、ロランは慌てたようすでそう言いつくろった。話題を変えたいらしく、リルの目当てである西の王子の話をし始める。
「ところでルアンブルの王子なんだけどね。それはもう人気者らしいよ。何でも絶世の美貌の持ち主だとか」
「へえ、そうなの」
リルは王子の見た目にはあまり興味がなかった。占い結果どおり彼の体液を搾取できればそれで満足なのだ。ロランはリルの反応が薄くとも、かまわず話し続ける。
「貴族令嬢はこぞって彼の隣を歩きたがるらしい。ゆくゆくは国王だからね。王妃になれずとも愛妾の座を狙う女性も多いのだとか」
リルは「へえ」と気のないあいづちを打ち、西の王子様を思い描いた。派手で口の立つ男性像が浮かび上がった。
「ねえ、王子様の年齢は?」
「あー……どうだったかな。きみと同じくらいじゃないかな」
「……ふうん」
舞踏会に集う令嬢のほとんどが年下だ。王子まで自分よりも若かったらどうしよう――。リルは深くため息をつく。
「それにしてもリル、西の王子に会って、具体的にどうするつもりなんだい?」
「え……っ」
リルの顔が引きつる。王子の体液が欲しいなどと、正直に言ったらきっと馬鹿にされて――舞踏会場にすら連れて行ってもらえず、引き返してしまうかもしれない。
「う、占いでは……言葉を交わせば、若さを保てるのだと」
「へえ、それは簡単でいいね」
ロランは明らかに信じていないが、それは占い結果に関してだ。占いを信じているリルのことは疑っていない。
(最悪の場合、王子を誘拐してでも体液を搾取してやるわ)
しかし誘拐となると、兄に迷惑をかけることになりかねない。やはりそんな強引なことはできないと自省しながらも、リルは若さを保つための占い結果になんの疑いも持たずに妄信していた。
西の小国ルアンブルとの国境に位置する国営の迎賓館で仮面舞踏会は催された。各国の要人が集まるというだけあって大規模な舞踏会だ。
(私、場違いになっていないかしら)
ロランに用意してもらったドレスは色合いこそ地味だがパールや刺繍、フリルレースがふんだんにほどこされている。こういうドレスを身につけているのはたいてい未亡人だ。リルは初婚すらまだだが、年齢的には未亡人でもおかしくない。
「リル? 平気かい」
「え、ええ……。その、浮いていないか心配で」
「大丈夫、どこからどう見てもみぼ――や、いや。そのドレス、とてもよく似合っている」
ドレスを急ごしらえしてもらった恩があるので文句は言えないが、ロランもやはりリルを、夫に先立たれた女性のようだと思っているのだ。
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リル・マクミランはゆっくりと顔を横に向けた。
「おはようございます、レディ・マクミラン」
ベッドの端に腰かけているのはマレット男爵だ。昨夜の、浴衣とかいうナイトウェアではなく、すでにきちんと服を着ている。彼の正装もまた、異国情緒あふれる変わった代物だ。
「あっ……。おっ、はよう、ございます」
リルはしどろもどろしながら挨拶を返した。
(困ったな……。へんな夢を見ちゃったから、顔を合わせづらい)
彼の顔をまともに見ることができない。窓のほうを見ながら上半身を起こす。
「よく眠れましたか?」
「そうですね、とても。ありがとうございます」
ベッドに座ったままちらりと彼を見つめる。
「あ……マレット男爵、目の下にくまができてますよ。ごめんなさい、私がベッドを占領してしまっていたから」
ベッド端で眠っていたはずなのに、いつの間にか真ん中にきていた。寝相はそう悪くないと思っていたのだが――。
「……くま? 気のせいですよ。昨夜はよく眠れましたから。もともとこうです」
「そう、ですか……?」
そうです、と語気を強めながら立ち上がるマレットを、リルは静かに見つめた。
「いやあ、それにしても見違えたよ、リル」
マレット男爵の馬車よりも豪奢なそれに揺られてリルは舞踏会場へ向かっていた。
正面には青い髪の実兄、ロランが座っている。偶然にも彼と同じ色に染まったリルの髪の毛を熱心に見つめている。
「そういう髪色だと、カトリオーナにそっくりだね」
「お兄様、言っておくけどカトリオーナが私に似てるのよ」
姪のカトリオーナとはたしかにもともと目鼻立ちが似ている。髪の色が同じになれば、酷似するのは自然だ。
「いっそカトリオーナとして振る舞ってみたらどうだい」
「なっ、馬鹿なこと言わないで。私のどこが十六歳に見えるっていうの」
「目もとを隠していれば、いけるんじゃないか?」
にやにやと嘲笑しながらロランが仮面をよこしてきた。
「ふんっ。そんなこと、ひとかけらも思ってないくせに」
やや乱雑に仮面を受け取り、視線を落とす。若かりし頃に戻れるものなら戻りたい。
髪の色を変えて自分を偽ってでも社交界に身をおいていれば、いまべつの未来があったのだろうかとも考えてしまう。
「ま、まあまあ……。十六歳には見えないにしても、きみはいまだってじゅうぶん美しいよ」
気落ちしているリルに、ロランは慌てたようすでそう言いつくろった。話題を変えたいらしく、リルの目当てである西の王子の話をし始める。
「ところでルアンブルの王子なんだけどね。それはもう人気者らしいよ。何でも絶世の美貌の持ち主だとか」
「へえ、そうなの」
リルは王子の見た目にはあまり興味がなかった。占い結果どおり彼の体液を搾取できればそれで満足なのだ。ロランはリルの反応が薄くとも、かまわず話し続ける。
「貴族令嬢はこぞって彼の隣を歩きたがるらしい。ゆくゆくは国王だからね。王妃になれずとも愛妾の座を狙う女性も多いのだとか」
リルは「へえ」と気のないあいづちを打ち、西の王子様を思い描いた。派手で口の立つ男性像が浮かび上がった。
「ねえ、王子様の年齢は?」
「あー……どうだったかな。きみと同じくらいじゃないかな」
「……ふうん」
舞踏会に集う令嬢のほとんどが年下だ。王子まで自分よりも若かったらどうしよう――。リルは深くため息をつく。
「それにしてもリル、西の王子に会って、具体的にどうするつもりなんだい?」
「え……っ」
リルの顔が引きつる。王子の体液が欲しいなどと、正直に言ったらきっと馬鹿にされて――舞踏会場にすら連れて行ってもらえず、引き返してしまうかもしれない。
「う、占いでは……言葉を交わせば、若さを保てるのだと」
「へえ、それは簡単でいいね」
ロランは明らかに信じていないが、それは占い結果に関してだ。占いを信じているリルのことは疑っていない。
(最悪の場合、王子を誘拐してでも体液を搾取してやるわ)
しかし誘拐となると、兄に迷惑をかけることになりかねない。やはりそんな強引なことはできないと自省しながらも、リルは若さを保つための占い結果になんの疑いも持たずに妄信していた。
西の小国ルアンブルとの国境に位置する国営の迎賓館で仮面舞踏会は催された。各国の要人が集まるというだけあって大規模な舞踏会だ。
(私、場違いになっていないかしら)
ロランに用意してもらったドレスは色合いこそ地味だがパールや刺繍、フリルレースがふんだんにほどこされている。こういうドレスを身につけているのはたいてい未亡人だ。リルは初婚すらまだだが、年齢的には未亡人でもおかしくない。
「リル? 平気かい」
「え、ええ……。その、浮いていないか心配で」
「大丈夫、どこからどう見てもみぼ――や、いや。そのドレス、とてもよく似合っている」
ドレスを急ごしらえしてもらった恩があるので文句は言えないが、ロランもやはりリルを、夫に先立たれた女性のようだと思っているのだ。