ひきこもり令嬢は囚われの貴公子に溺愛される 《 第一章 ひきこもり令嬢のたくらみ 09

(べつにいいわ……。とにかくいまは西の王子を探さなくては)
 次々と挨拶を交わしていくロランのうしろにぴたりとくっついて愛想笑いを浮かべる。黒から青に変わった髪色はごく自然だからまったく目立たないし、紅い瞳もいまは仮面で隠れている。リルは気兼ねなく――人形のように淡々と挨拶やダンスをこなした。
 公爵令息のロランは顔が広く、それとなくルアンブル国の王子について尋ねてくれている。
「――リル、あの白金髪の男だよ。ルアンブルの王子は」
 こっそりと耳打ちをされた。視線の先はダンスホールの中央。金の装飾がふんだんにほどこされた仮面をつけた白金髪の男がうら若い女性に囲まれていた。女性も仮面をつけているが、それでもあからさまにわかるほど、うっとりと王子に魅入っている。
(思っていたよりも背が高い)
 ひとであふれかえっているダンスホールだが、それでもどこにいるかすぐにわかるほど王子は長身だった。
「ルアンブルの王子はダンスの予定がびっしりと詰まっているらしい。なかなか声をかけるすきがない」
「そうなの……」
「まあまあリル。そうあせらず、まずは酒でも飲んで楽しんだら?」
 ロランにワイングラスを差し出された。先ほどから社交辞令の挨拶ばかりしているせいでのどがカラカラだ。
 リルは「ありがとう」と言いながらグラスを受け取り、いっきにあおった。


 白金髪の王子の動向をうかがいながらリルは酒を飲み進めていた。いつ王子の手があくかわからないから、ほかの男とのんびり踊っているひまはない。
(う……。気持ち悪い)
 ふだんは美容に気を遣って酒などほとんど飲まない。王子はまだかまだかと、ロランに渡されるままワインをあおっていたら飲みすぎてしまった。
「私、少し夜風に当たってくるわ」
「ああ、では僕も」
「――おや、これはトランバーズ伯爵」
 タイミング悪くというか、ロランがどこかの貴族に話しかけられた。リルは会釈をして兄に目配せをして、テラスへ急ぐ。
(は、吐きそう……)
 もはや王子どころではない。自分がこんなにも酒に弱いのだと、二十五歳にして初めて知った。
 一階のテラスにはさいわい誰もいなかった。白い柵に両手をついてもたれかかり、下を向く。
(吐いたほうが楽になるかしら……)
 うぷ、と込み上げるものを腹のなかに押しとどめながら必死にこらえる。もういっそ出してしまいたい。
 さすがにここで胃のなかのものを戻してしまうのはいけないから、スロープをとおって庭へとおりる。
 暗い庭へひとりで歩いていくリルはよろよろとふらついていた。
「――どうなさいました?」
「……っ!?」
 急に手首をつかまれてあせる。振り返ると、そこにはお目当ての白金髪――ルアンブル国の王子がいた。
(な、なんでいまなの!)
 心のなかだけで発狂する。先ほどから話しかけたいと思っていたが、よりによって気分がすぐれないいまとは――。
「っ、す、少し飲みすぎてしまって……。その、気持ちが悪くて」
「ああ、そうなんですか。どうりで顔色が悪いと思いました」
 王子はつかんだままのリルの手首を軽く引っ張り、白い素肌に親指を当てた。脈をはかっているようだ。
(医者みたいなことをするのね)
 きょとんとそれを見つめる。
「脈は早いけど乱れてはいない。ただの飲みすぎのようですね」
「ええ……。っ、う」
 口もとを手で覆い、ぐっ、とこらえる。もういよいよ危ない。
「あちらの隅へ行きましょう」
 王子はリルの肩を抱いて庭の隅へ誘導した。うながされるままふらふらと歩き、大きな木の根もとに座り込む。
「戻してしまったほうがいいですよ」
 大きな手のひらが背中をさする。初めて会ったひとの前で――しかも一国の王子の前で吐くなど言語道断。そうは思えど、込み上げてくるものを制御できなかった。
「……っ、ぅ、う」
 ダンスホールからは優美なワルツが響いてくる。それに引き換え嘔吐する自分のうめき声はひどく醜く汚らわしい。
 リルが嘔吐をしているあいだじゅう、王子は彼女の背を優しくさすっていた。

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