ひきこもり令嬢は囚われの貴公子に溺愛される 《 第一章 ひきこもり令嬢のたくらみ 11

 森のなかにひとりで住んでいること、薬を売って生計を立てていることをリルは話した。いきおくれの公爵令嬢だとか、そういうことは聞かれなかったので語らない。
「森に住んでるんだ? それは楽しそうだね」
 オーガスタスは口もとに大きく弧を描いた。
「ぜひ僕を誘拐してください」
 ふたりのあいだをひゅうっ、とつめたい夜風が吹き抜けた。夜空色のドレスの裾がひらひらと揺れる。
「え、と……いいの? あなたはそれで大丈夫なの?」
「好きなところへ行っていいと言われたから、たぶん平気だよ。きみが王子誘拐の罪に問われることもない」
「そうなの?」
 一国の王子だというのにずいぶんと放任主義だ。
(でも……そうよ)
 彼の体液を搾取するといっても、具体的にどうすればよいのかよく考えなければわからない。なんにせよ、ここですぐにどうにかできることではないから、どこかへ連れて行く必要がある。彼がリルの屋敷に赴いてくれるのならばそれにこしたことはない。
 ここはひとつ「罪に問われることはない」という彼の言葉を信じて誘拐してみよう。ロランにも、迷惑はかけないはずだ。
「ありがとう、オーガスタス」
 リルは言いながら、あごに手を当てた。
(でも、どうやって連れて帰ろう?)
 公爵家の馬車には乗せられない。ルアンブル国の王子を森の家に連れて行くとロランに言えば、なにをするつもりだと深く追求されてしまいそうだ。
 考え込むリルの顔をオーガスタスがのぞき込む。
「もしかして、どうやって連れ帰ろうかって考えてる?」
「ええ……」
「それなら、馬を一頭だけ用意してもらえれば大丈夫じゃないかな。誘拐なわけだから、馬車じゃ目立つだろうし……時間もかかる」
「わ、わかったわ」
 はたして誘拐という体《てい》を成しているのか疑問に思いつつ、リルはオーガスタスとともにダンスホールへ戻り、主催者の執事に馬の用意と、それからロランに宛てて「先に帰る」という旨の伝言を頼み、庭を汚してグラスを割ってしまったことを謝った。
 馬は迎賓館の裏門に用意された。鞍のついた若々しい白馬だった。
「鞍は要らないな。手綱だけでじゅうぶん。僕、一度裸馬に乗ってみたかったんだ」
 オーガスタスはいそいそと馬の鞍を外し、側に立っていた馬丁に渡した。
「さあ、乗って。リル」
 ぐいぐいと背を押され、踏み台に足をかける。抱え上げるようにしてなかば強引に馬に乗せられた。馬に乗るのは久しぶりだし、まして裸馬は初めてだから落ち着かない。
「よ……っと」
 彼自身は踏み台を使わず、その場で跳躍して鮮やかに馬にまたがった。長身なのにくわえてジャンプ力もあるからできることだろう。
「この馬はルアンブル国がもらい受ける。請求はオーガスタス・クレド・ルアンブルによろしく」
 にっこりとほほえんで手綱を取り、オーガスタスが馬を走らせる。
「ひゃっ!」
 急に動き出してしまった馬と、それから跳ねるような乗り心地に不安を覚えて彼の背をつかむ。
「ほら、しっかりつかまっていて。腕をまわしてひっついていないと、落ちてしまうよ」
 リルは言われたとおりオーガスタスの背にしがみついた。
「はあ、馬で駆けるのは気持ちがいいね。それで、次はどっち?」
 オーガスタスは初めて世界を目にする少年のように声を弾ませている。
「み、右の道だけど……ちょっ、ちょっと速すぎない!?」
 街路を抜けて田舎道にさしかかったオーガスタスはいっそう馬をたきつけて速度を上げた。
「このくらいのほうが頬に当たる風が爽快だ。あ、もしかして馬酔いしちゃった?」
 舞踏会場で飲みすぎていたのを揶揄《やゆ》しているような口ぶりだ。
「へ、平気……。いまのところは」
「そう。じゃあもっと速くしよう」
「ええっ!? やっ、やめて!」
 ははっ、と大きな笑い声を上げるオーガスタス。行動もそうだが、王子様然とした見た目によらずなにごとも豪快だ。
(なんなのよ、このひと――!)
 馬はますますスピードを上げる。リルは振り落とされないようにと、しっかりと彼の体を抱きしめた。
「――リルの体、温かくてやわらかい」
 オーガスタスのつぶやきは、風切り音が邪魔をしてリルの耳には届かない。
 彼の白い上着が風になびいて大きくひるがえる。上着の裾にほどこされた緻密な金銀刺繍が、満ちた月の明かりを反射してまばゆく光っていた。

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