ひきこもり令嬢は囚われの貴公子に溺愛される 《 第二章 囚われの貴公子は自由奔放 01

 西の王子をともなったリルが森の家に着いたのは舞踏会場を出て数時間後のことだった。馬車で移動するよりも遥かに短い移動時間だったが、リルは疲弊していた。
(つ、疲れた……)
 屋敷のなかに入ったリルはよろよろと歩いてランプに火を灯し、倒れるようにソファに腰かけた。結い上げていた髪の毛をほどく。青い髪の毛が紺色のドレスにふわりとかかった。
「素敵な家だね。小さいけど」
 オーガスタスはきょろきょろと部屋のなかを見まわしている。
「……ねえ、いいかげんに仮面をとったら?」
 いまだに仮面をつけたままの王子に違和感を覚えて進言した。彼の素顔を見てみたいという思惑もある。
「……そっちそこ」
 王子の言葉にリルはぎくりとして体を強張らせた。
「い、いえ……。もうしばらく、仮面舞踏会の気分に浸っていましょう」
 支離滅裂な言いわけをしてうつむく。
(紅い瞳を見られたくない)
 リルはなるべく彼と目を合わせないようにした。
「ねえ、ところで……体液って、具体的になんのこと?」
 オーガスタスがリルの正面に腰をおろす。室内で仮面をつけたまま向かい合っているのは異様だ。
「さあ……。汗かしら」
 体液で連想できるものはそれしかなかった。
「ふむ、汗をかくには……温泉かな。ねえ、森のなかにないの?」
「あるわ、すぐそこの裏庭に。このあたりは少し掘ればお湯が出てくるの」
「それはいい。じゃあ、さっそく入ろう」
 オーガスタスはすっくと立ち上がり、首のクラヴァットをほどき始めた。
「それで、温泉はどっち?」
「こっちだけど……ちょ、ちょっと!」
 白い上着、なかのシャツと、オーガスタスは次々と脱ぎながら歩く。裏庭の露天風呂に着くころには裸になってしまった。
 オーガスタスはリルに背を向けたまま仮面をはずし、うしろ手に渡してきた。
(……そうよね。いつまでもつけているわけにはいかないし)
 足先からゆっくりと湯に浸かっていくオーガスタスをちらちらと眺めながらリルも仮面をはずした。
 肩のあたりまで湯に浸かったオーガスタスが感慨深く言う。
「はあ……。いい心地だ」
「そう、よかった」
 リルは平たい岩場に座り込んで彼の後頭部を見つめた。屋敷に灯したランプの光は裏庭にも届く。薄明かりに照らし出されたオーガスタスの白金髪が湯気に濡れてきらきらと光を反射している。
「ねえ、ここ。汗が出てきたよ。舐めてみたら?」
「――え」
 オーガスタスは振り返らずに、自身の首すじを指でトントンと叩いている。
「僕の体液が欲しいんでしょ?」
「そ、それは……まあ、そうだけど」
 なんのために西の王子を連れてきたのかというと、このためだ。リルは意を決して立ち上がり、オーガスタスに近づく。
 彼のそばに座るだけでは、首にしたたる汗を舐めることができない。リルは岩のうえに両手をついて身を低くした。
 首すじをすべり落ちる雫をめがけて舌を伸ばす。汗を舐めとることに集中していたせいで、青く染めた長い髪の毛が湯に浸かっているのに気がつかなかった。
「……あれ? リル、髪の色が」
 そっと髪の毛のひとふさをつかまれた。オーガスタスの手が触れているところは青い染料が湯で溶け出し、もとの黒に戻っている。
「やっ、見ないで――!」
 髪の毛を押さえようと片手を離した。濡れた岩場はすべりやすく、急に身を起こしたせいで手のひらが前へとずれ動く。
「きゃっ!?」
 踏みとどまれればよかったのだが、勢いあまってリルは湯のなかへと落ちた。
 ザバンッ、と大きな水しぶきがあがる。
 お湯のなかに沈み込んで窒息するということはなかった。オーガスタスがリルの体を支えているからだ。
「―――!」
 湯けむりのなか、ふたりは目を見ひらいていた。お互いの素顔に釘付けになっている。
 自分自身も見つめられていることをつい忘れてしまっていた。

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