ひきこもり令嬢は囚われの貴公子に溺愛される 《 第二章 囚われの貴公子は自由奔放 05

「んっ、ぅ……!」
 くらくらとめまいがしてきた。湯あたりなのか、羞恥でそうなっているのかわからない。
 官能的に這うオーガスタスの舌のこと以外はなにも考えられなくなりそうだった。
「ゃっ……、もうだめ……! のぼせてしまいそう」
 やっとの思いでそう告げると、オーガスタスの動きはぴたりと止まった。
「え、それはたいへんだ。すぐに上がろう」
「ひゃっ!?」
 くらくらしていた視界が今度はぐらぐらと揺れた。
 オーガスタスはリルを横向きに抱きかかえ、ザバッ、と大きなしぶきを上げて風呂から出た。呆然とするリルには目もくれず、濡れた体のまま歩く。
「タオルはこれを使えばいいのかな」
 オーガスタスの問いかけに、こくりとうなずく。
 リルはふだんから裏庭の露天風呂を使っているから、裏口から家のなかに入ってすぐのところにタオルを常備している。
 バスタオルをふわりと体にかけられた。
「あ、あの……」
 やわらかいバスタオルに包まれたままベッドに寝かされる。
 リルの屋敷は部屋の区別がはっきりしていない。キッチンもリビングも、それからベッドもひとつの部屋に集約してある。ベッドのまわりには背の低い衝立を置いているが、長身のオーガスタスがリルの寝床を見つけるのは簡単だったようだ。
「長いこと馬に乗っていて疲れているのもあるかもね。ゆっくりおやすみ、リル」
 リルの濡れた黒髪を拭きながらオーガスタスがささやいた。
 もともとはっきりしていなかった頭のなかは、さらにぼんやりともやがかかっていく。
(なんだかすごく落ち着く……)
 頬に触れる温かく優しい手にいざなわれ、リルはあっという間に眠りについた。


 小鳥のさえずりで目を覚ますのはいつものことだ。
 しかしふだんと違うのは、体がとても温かいということ。森の朝は冷えるというのに、今日はどうしてか寒さをまったく感じない。
(――っ!!)
 ゆっくりと目を開けたリルは大声を出しそうになって、あわてて口もとを押さえてこらえた。
 目の前には白金髪の王子様。すうすうと静かな寝息を立てて眠っている。オーガスタスの腕はリルの腰にしっかりと巻きつき、またリルの腕も同じだった。
 彼を抱き枕と勘違いしていたようで、むき出しの胸を押し付けるようにきつく抱きしめてしまっていた。
 そろりそろりと腕を前にもってきてオーガスタスから距離をとる。彼の腕には思ったほど力が入っておらず、ベッドから抜け出すのは簡単だった。
 裸のままベッドわきから王子を見つめる。
(まるで造りものみたい)
 寝息が聞こえていなければ、蝋人形かなにかと間違えてしまいそうだ。
 顔の造作はひとつひとつが美しく、全体のバランスもよい。ひとではなく、美しい絵画をいつまでも見ていたくなるのと同じような心境に陥ってしまう。
(それにしても無防備ね)
 寝ているのだからあたりまえだが、布団にくるまって眠る姿はどこかかわいらしくもあった。
(……っと、いけない。パンを焼いて、洗濯をして、それから)
 朝やるべきことはたくさんある。リルはクローゼットから普段着のドレスを取り出して身につけてエプロンを羽織り、パン作りを始めた。
 ベッドとキッチンは部屋の対角線上にあり、もっとも離れてはいるがそれでも音を立てて彼を起こしてしまわないように気を配った。
 パン生地をこね、発酵させているあいだにテラスで洗濯をする。発酵が終わったパンをオーブンに入れて焼き、そのあいだにふたたびテラスへ向かって洗濯物を干した。
 焼き上がったパンを網のうえに乗せてから、裏庭の野菜を採りにいった。
「おはよう、リル。早いんだね」
 トマトやきゅうりを採取していると、小窓からオーガスタスが顔を出してそう言った。リルは野菜を持ったまま答える。
「ええ、おはよう。待っててね、すぐに朝食にするから」
「うん。僕、お腹ぺこぺこだよ」
 猫なで声でそう言われれば、母性が刺激される。リルはいつにも増して、てきぱきと庭の野菜を採って屋敷のなかへ戻った。


「すごい、おいしそう!」
 感嘆の声を上げるオーガスタスだが、リルは目を合わせることができなかった。
「どうぞ、召し上がれ。……その、ごめんなさいね。裸で朝食なんて」
「ん、べつにかまわないよ。むしろ僕のほうが謝るべきだね。見苦しくてごめん」

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