ひきこもり令嬢は囚われの貴公子に溺愛される 《 第二章 囚われの貴公子は自由奔放 08

 薬は数日前に渡したばかりだ。彼がここへ来た理由が見つからない。
 マレットは屋敷のなかをちらりと見まわし、わずかに表情を険しくした。
「仮面舞踏会はいかがだっただろうかと、気になってしまって。……ええと、そちらは?」
 リルはぎくりとして心臓を跳ねさせた。
 誘拐してきた王子を隠すのを忘れていた。もっとも、隠れていろと言っても素直に従いそうにはないが。
「あ、えっと、彼はですね……」
 正直に話していいものかと迷ってしまう。狼狽するリルの代わりにオーガスタスが口をひらく。
「はじめまして、こんな格好で申しわけございません。僕はオーランドと申します」
(オ、オーランド?)
 頭のなかに疑問符を浮かべるリルのうしろに立ったオーガスタスがべらべらと嘘の身のうえばなしを始める。
「僕、薬学を学ぶために各国を旅してまわっているんです。この森の薬草はじつに種類が多くて興味深い。それで、森を散策していたところたまたまリルさんにお会いして、薬草のことを教えてもらうため、この屋敷にしばらく置いてもらうことになったんです」
 そこまで言い終わると、オーガスタスはふうっと物憂げに息を吐いた。
「しかしこの屋敷に向かう途中で、うっかり荷物をすべて川に落として――流されてしまったんです。それで、着替えがなくて困っているんです」
 話し終えたオーガスタスをリルが補足する。
「彼の着替えがないのを忘れていて、私がすべて洗濯してしまったんです。それでオーガスタ……こほん、オーランドさんはこんな格好を」
 嘘をつくのはあまり得意ではない。声がうわずっていないか心配だが、マレットが疑っているようすは見られない。
「……それは、大変でしたね。では俺が彼の服を調達してまいりましょう」
「あ、ありがとうございます。マレット男爵」
 リルが顔をほころばせると、マレットもそれにつられたのか微笑した。
 オーガスタスはふたりのようすを交互に見つめて口を挟む。
「それはそれは、本当に助かります。僕はルアンブル国第一王子つきの薬剤師をしています。衣服の請求はかの国の王子宛てにお願いします」
「ルアンブル国の第一王子宛てに請求、ですか。……承知いたしました。ではすぐに服を持ってまいります」
「えっ!? いえ、そんな……お忙しいでしょう?」
 リルは眉尻を下げてマレットを見上げた。彼の表情が曇る。
「かまいません。あなたを、裸の男と一緒になんて――」
 マレットの言葉の最後のほうはとても小さく、ぼそぼそと言っていたので聞き取れなかった。
「あの、マレット男爵?」
「――いえ、なんでもありません。ああ、そうだ。なんならレディ・マクミランもご一緒にいかがですか。あなたが直接、彼の服をお選びください。そのあとまた馬車でこちらへお送りしますから」
「そう、ですね……」
 それならば、服を手に入れたらひとりで歩いて帰ってくることもできるが――。
 ちらりと王子を見やる。ああ、泣き出しそうな顔をしている。
「僕、ここにひとりでいるのは不安だな……。だって、この格好だし。変質者が家のなかに押し入ってきて、襲われたらどうしよう」
 そうしてオーガスタスは頭を抱えた。
「――と、おっしゃっているので私はここに残ります。申しわけございません、せっかくお誘いいただいたのに……。お手数をおかけしますが、よろしくお願いします」
 リルはマレットに向かって深く頭を下げた。
 いっぽうのマレット男爵は「頭を上げてください」と言いながら、リルのうしろに立つオーガスタスをじいっと見つめていた。


「よくもあんなにべらべらと嘘が出てくるわね。感心した」
 マレットが帰ったあと、リルはキッチンでハーブティーを淹れながらオーガスタスに嫌味たらしく話しかけた。
「うん、自分でも驚いた。でも、ああでも言わなきゃ追い出されてしまいそうだったし」
 ソファでくつろぐ彼にハーブティーを差し出す。
「まったく……。あなたのいいようにマレット男爵を誘導しちゃって。けど、よく彼が商人だってわかったわね」
「薬の引き取りがどうとか言ってたでしょ。それに、マレットという言葉には聞き覚えがあった。たしかこの国の豪商だよね。……ん、おいしい」
 リルが淹れたハーブティーは王子の口に合ったらしい。満足気にごくごくと飲んでいる。
「隣国事情にも詳しいのね」
「んー……そういう情報だけは無駄に聞き及ぶ機会が多くて」

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