ひきこもり令嬢は囚われの貴公子に溺愛される 《 第二章 囚われの貴公子は自由奔放 09

「無駄ってことはないんじゃない?」
 あまりそうは見えないが、さすがは王子様といったところだ。
 オーガスタスの正面に座ったリルは自分で淹れたハーブティーをひとくちだけすすった。
「それにしても、最後のはなによ。鍵をかけて大人しくしていればいいのに」
 ひとりになりたくないと彼が駄々をこねたことを責めると、オーガスタスは年甲斐もなく頬をふくらませた。
「いやだよ、外にも出られないしひまじゃないか。せっかく誘拐されてきてるっていうのに」
「まったく、わがままな捕虜だこと……。ねえ、そういえば、服の代金くらいなら払えるわ。馬は、ちょっとすぐには無理だけど」
 ソファから立ち上がり、裏庭をのぞむ窓の前に立つ。野菜畑の近くの木には仮面舞踏会で買い受けた白馬をつないでいる。
「まあまあ気にしないで。僕はあなたに誘拐されてきたわけだけど、利害は一致してる。僕はこの森を満喫して、あなたと楽しく過ごしたい」
 どちらかというと誘拐させられたわけだが、もとはリルが持ちかけたことなので反論はできなかった。


 マレット男爵はほどなくして戻ってきた。思っていたよりも格段に早かった。
「いい天気ですね。散歩するにはちょうどいい」
 マレットが持ってきた真新しい服を着たオーガスタスが言った。森の小道を先立って歩き、太い木の枝に手を伸ばしてぶらさがったりしている。大きな子どもだ。枝が折れないか心配になる。
「ええ、そうですね」
 オーガスタスの言葉に答えたのはマレット男爵だ。
 どういうわけか、彼も「薬草に興味がある」と言い出したので、リルは彼らふたりと薬草摘みに出かけたのだった。
 子どものようにはしゃぐオーガスタスとは対照的にマレットはとても落ち着いている。いや、落ち着いているというのには語弊がある。周囲を警戒しながら森のなかを歩いているようだった。茂みが少しでも揺れるとマレットはひどく狼狽して身をこわばらせるのだ。
「マレット男爵、たぶんうさぎかなにかですよ。……もしかして私が以前、熊に出会ったという話を信じていらっしゃるわけじゃないですよね?」
「まっ、まさか……。信じてなど、いませんよ。ただ、森のなかを歩くことがいままであまりなかったもので」
 顔面蒼白できょろきょろとあたりを見まわすマレットは見ていてなかなか面白い。
(森を歩くのが怖いのなら、どうしてついてくるなんて言ったんだろう?)
 ふだんはリルのななめ前を歩くマレット男爵だが、今日ばかりは歩みが遅れている。森のなかはよほど物騒だと思っているのだろう。
「あっ」
 前を歩いていたオーガスタスが突然、声を上げた。マレットがその声に過剰に反応してリルの背に隠れる。
「へっ!? へ、へへ、蛇じゃないですか!」
 リルの背に隠れたマレットが情けない声で叫んだ。道の真ん中に、進路をふさぐように蛇がにょろにょろと体をくねらせて横たわっている。
 しかしリルは道をふさぐ蛇よりもマレットが何回「へ」を言ったのかというほうが気になる。
「マレット男爵、いま何回『へ』とおっしゃいました?」
「――! そ、んなこと、わかりません」
「きゃっ!?」
 急にうしろから抱きすくめられてふらつく。マレットは道を這う小さな蛇が怖いらしく、リルの体を背中から抱きしめて盾にしている。大きな図体のマレットは小柄なリルにはとうてい隠れきれない。
 ふたりのそんなようすをオーガスタスは微笑したまま見つめ、近くに落ちていた小枝をかがんで拾った。
「ただの蛇だよ。毒はない種類じゃないかな。おーい、道を開けてくれ」
 オーガスタスが小枝でトントンッと地面をたたく。驚いた蛇はすぐに茂みへと蛇行して消えていった。
「ほら、もう大丈夫。マレット男爵、リルさんが困っていますよ」
「……え」
 マレットは慌てたようすで両腕を放した。リルはわずかに頬を赤くしていた。異性に抱きしめられるのに慣れていないからだ。
「リルさん、薬草が生えているのはどこですか?」
 オーガスタスの言葉はどうしてか棒読みだった。彼とふたりきりのときは敬語で話さないからそんなふうに感じたのかもしれない。オーガスタスに手を引かれて歩かされる。
「そこの分かれ道を右です。あのっ、なぜそんなに急ぐのですか!」
 ぐいぐいと手を引っ張られている。痛いくらいだ。なかば小走りになっていて、そうしてどんどん進んでいるから息が切れてくる。

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