ひきこもり令嬢は囚われの貴公子に溺愛される 《 第二章 囚われの貴公子は自由奔放 11

「――レディ・マクミラン。ご馳走様でした」
 リルはマレット男爵と玄関先で向かい合っていた。オーガスタスはというと、皿洗いをしてくれている。
 王子様にそんなことができるのかと疑問だったが、思いのほか要領よくこなしている。元来、器用なのだろう。
「いいえ、こちらこそ。薬草摘みを手伝っていただき、ありがとうございました」
「……あの、レディ・マクミラン。オーランド殿についてですが」
「はい?」
 マレットが頭を低くしてリルの耳もとに顔を寄せる。
「彼は人懐っこくて無害そうに見えますが、それでもやはり男です。どうかあまり気をお許しにならないように」
「え、ええ……」
「それでは、また」
 去っていく彼のうしろ姿はいつもより疲れているように思えた。森のなかを歩いただけでも、疲れているようすだった。
 いっぽうのオーガスタスは正反対だ。疲れなどまったく見えず、鼻歌まじりに皿を洗っている。
「――たまには労働するのもいいね」
 皿を洗い終えたオーガスタスはリルが腰かけるソファに並んで座った。
「ありがとう。助かったわ」
「どういたしまして」
 肩が触れ合いそうな、ごく近い位置に座ったオーガスタスをリルは横目でちらりと盗み見た。簡素な白いドレスシャツの首もとをゆるめているところだった。
「ねえ、あなた意外と薬草に詳しいのね」
 するとオーガスタスの表情が心なしか陰った。
「ああ……。幼い頃は怪我をすることが多くて、独学で医学を学んだ。自分自身を守って、生きながらえるために。……僕って臆病でしょ」
 自分自身にあきれているような口ぶりだった。リルはすぐにそれを否定する。
「いいえ、その選択はとても賢いと思うわ。それにすごく合理的」
 しばしの、沈黙。リルはあわてて言いつくろう。
「――って、ごめんなさい。そういう言いかたは、なんだか偉そうね」
「ん……そんなことないよ」
 左の肩が重くなった。白金髪がリルの肩にもたれかかっている。
(ど、どうしたのかしら)
 彼の過剰なスキンシップにはどうもついていけない。初めは居心地が悪かったが、左肩がじわじわと温かくなってきて、どうしてか心が休まる。リルはゆっくりと目を閉じた。
「ところでリル。マレット男爵とはどういう関係?」
「どうって……べつになにも」
 目を閉じたまま答えた。つい先日、兄のロランにも同じようなことを聞かれて同じような返答をしたような気がする。
「ふうん……。まあ、彼は悪いひとじゃなさそうだね」
「むしろいちはやく服を持ってきてくれたんだから、かなりの『いいひと』だわ」
「……彼はあなたに気があると思うよ」
 うなるような低い声音がリルの体をにわかに緊張させる。目を斜め下に動かし、視線だけを彼に向ける。
「ええ? まさか。ひとばんをともにしたことがあるけど、なにもなかったわ」
「ひとばんをともに――って、どういう意味?」
「あ、ええと……」
 リルは舞踏会前日の出来事をかいつまんで話した。オーガスタスはリルの肩に頭をあずけたまま黙って話を聞いている。
「――へえ、そう」
 左肩が軽くなった。オーガスタスが頭を上げたからだ。
「……っ!?」
 彼のほうを向くのと同時にあごをすくわれた。真顔でのぞき込まれ、どう反応してよいのかわからない。彼に触れられているあごが、熱い。
「ねえ、今日は僕の唾液を摂取してみない?」
「だ……えき?」
「そう。口腔内で分泌される透明の液体」
 医学的な説明をされてリルはきょとんとする。
 あごに添えられていたオーガスタスの指がうえに伸びて、唇をたどった。
 そろりそろりと下唇をなぞっていく指はどこかなまめかしい。リルは彼の指を手で押しのける。
「体液は、もういいわ。あなたの汗を体内に取り込んだし」
「ぬるいな、リルは。やるなら徹底的に、ね。協力してあげるから」
 口もとを覆ったまま上目遣いをするリルの頬をオーガスタスが両の手のひらで包む。
「な、なにをするの……?」
「唾液をあげるって言ったでしょ。ほら、口を開けて」
 口を開けてなにをされるのかを、リルは感知しない。

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