ひきこもり令嬢は囚われの貴公子に溺愛される 《 第三章 勘違い 02

 ロランは育毛薬と白いバスケットを両手いっぱいに持ったまま、いぶかしげにリルを見おろしている。
「……まあ、いいけど。ひとまず今日は帰るよ。収穫、頑張ってね」
「ええ……。ごきげんよう、お兄様」
 大きな馬車に乗り込んで帰っていくロランを見送り、リルは「ふう」とため息をついて屋敷のなかへ戻った。
 ソファに座ってうなだれる。
(お兄様とは話をしただけなのにとんでもなく疲れたわ。……オーガスタスはいつ戻ってくるかしら)
 彼が出て行ってまだ一時間も経っていない。それなのに、帰るのはいつだろうと気になってしまう。
 ふと部屋のなかを見まわす。いままで、オーガスタスがくるまではこの屋敷にひとりでいることが普通だったのに、自分以外にひとけのないこの空間がいまは不安をかきたてる。寂しい。
(どうしちゃったんだろう、私……)
 何年もこの森でひとりで暮らしてきた。公爵家にいたころだって、部屋にこもってひとりでいることは多かった。寂しいと思うことはあったけれど、いまの比ではない。
(早く帰ってきて、オーガスタス)
 リルはソファに横たわり、自分自身の黒い髪の毛を指に絡めてもてあそんだ。こうして横になると、先日の出来事を思い出してしまう。
 どくん、と下半身の秘めたところが――彼に触れられたところが熱を持ってしまい、リルは恥ずかしくなって両手で顔を覆った。


 しばらく眠ってしまっていたのだと思う。
 コンコン、とドアノッカーの音が聞こえてきて、飛び起きる。
(オーガスタス?)
 リルは嬉々として軽快に玄関へ駆け、「はーい」と返事をしながら扉を開けた。
「――マレット男爵? またいらしたんですか」
 あまり表情が変わらないマレットだが、リルの言葉を聞いて固まった。
(しまったわ。つい思ったことをそのまま口に出してしまった)
 いまの言いかたはあまりにも失礼だ。リルはぎこちなくほほえんで言いつくろう。
「その、お忙しいところたびたび来ていただいて申し訳ないというか……」
 玄関扉の端を見つめながら言い訳をしていると、マレットが屋敷のなかへ入ってきた。部屋を見まわしている。
「……オーランド殿は、いらっしゃらないんですか」
「あ、ええ。いまはちょっと……。あの、マレット男爵?」
 あとずさる。マレットがどんどん距離を詰めてくるからだ。あいもかわらず無表情のマレットだが、それがよけいに怖い。
 トン、と背中が壁にぶつかった。リルはマレットの両腕に囲い込まれている。
(な、なんなの?)
 なぜ彼に壁ぎわに追い込まれているのかわからない。思ったままに尋ねる。
「どうなさったんですか? マレット男爵」
 マレットの目がわずかに細くなる。
「……あなたは鈍いひとだ」
「え」
 リルは眉間にしわを寄せてマレットを見上げた。鈍いと言われて快く思う人間はそういないだろう。
「どういう、意味ですか?」
「………」
 マレットはリルの質問には答えず、彼女のあごを片手ですくった。


「ふん、ふん、ふん~」
 オーランド・ラスウェルは鼻歌を歌いながら森を散策していた。
 空は曇天だが森の空気はいつもどおり澄んでいて、気持ちがよい。
 なににもとらわれず、なにも考えずにこうして自由に森のなかを歩くことがこんなにも素晴らしいことだとは露ほども知らなかった。
 そう。暗い部屋にひとりでいることが、つねだったのに――。
(リルのお兄さんはもう帰ったかな)
 不意に立ち止まり、曇り空を見上げる。
(リルは嘘がへただからな……)
 自分の存在が彼女の兄に知れていないことをせつに願う。
 オーランドはふたたびゆっくりと歩き出した。
 母親のもとへ帰りたくなくて、リルを利用して森へきたわけだが、リルの行動や仕草がおもしろくて――かわいくて、毎日が楽しい。
 ほかに女性を知らないから彼女に惹かれるのかとも思う。しかし、仮面舞踏会のときたくさんの貴族令嬢たちに囲まれたがいまいちぴんとこなかった。貼り付けたような笑顔でうさんくさい褒め言葉ばかりをかけられ、うんざりしてしまっていたというのもある。どの令嬢も同じ顔に見えた。

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